「私は美しい。
そう思う権利を侵されてはいけない。
勘違いブスだの言ってくる人間もいるしその権利もある。
しかし私は断固として戦うつもりだ。
法廷にも足を運ぼう。
私は美しいと誇りに思う。
今より太って顔にアザができて脳性麻痺になったとしても、
私は美しい。
その一方で社会的に顔がいいとされる人間から1抜けするように幸せになっていくのも事実だ。
世の中は適者生存。
アイドルのような顔を目指すことが社会的に正しいことなのだろう。
私はそれをおぞましく思う。
私の顔は私のものだ。
誰にも否定されたくない。
私の顔だ。
私の顔は誇らしい。
どんなにぐちゃぐちゃになってもだ。
それを勝手に査定し非難してくる人間にもう悲しまない。
憎まない。
許してやろう。
私は私の外見で悲しまない。」
人生は複雑で、人の顔には物語がある。日記を読んで新たに思った
これは1年前の日記帳に綴られた、過去の私が今の私へ送った詩(ことば)だ。
読めば読むほど怒りと悲しみで溢れた血で書きなぐった様な詩だ。
この詩を今読むことで新しく思うことがある。
それは、人の顔には物語があるということだ。
不幸にあったから幸薄そうな顔をしているだとか、友達がいっぱいだから自信ありげな顔をしているというものでは無い。
人の物語。そう人生は複雑だ。
高校時代、恋愛もして友達もいっぱいいて何不自由ない、リア充の塊みたいな子から映画に誘われたことがある。
館内が暗くなる前、彼女は「お父さん彼女できたんだ」とボソッとこぼした。
「お父さんお母さんと死別しててさ、そんで新しく彼女できたんだよね」
正直なんて声をかけたらいいかわからなかった。でも今なら、彼女が常に教室で笑顔でいた強さがわかる。
彼女の笑顔は友達がいるからとか恋愛しているからだけでは無い、人生の深みからくる絶望をくるんで、それでも笑顔でいる強さのある顔だったのだ。
愛らしくていじらしい優しい顔だったのだ。
美人には美人の悩みが。美しい顔を賛美する暴力があるなんて
こんなこともあった。
「私、醜形恐怖症なんだよね」
大学の親友は言った。彼女はミス○○大に応募すれば必ず入賞するだろうと思われるほどの美人であった。彼女は続けて言った。
「私、顔以外に何があるんだろう。何も無いんじゃないかと思うとゾッとする。彼氏だって顔が良かったから私を愛してくれる。顔がなかったら私の人生どんなことになってたんだろう。今の顔を保たなきゃと思うと途方に暮れる」
そんなようなことを話した。
美人には美人の悩みがあるとは聞いていたが、ここまで深刻だとは思わなかった。
彼女の顔は美しいかもしれない。
でも不安を孕んだ美しさだ。危険を含んだ美しさだ。その陰りさえ私は美しいなと思った。
誰が見ても美しい彼女の内面には不安がある。その不安がまた彼女の魅力になって、人を集める。その集まった人にまた彼女は恐怖する。そんなサイクルがなにか女王めいていて、不謹慎だが面白く思ってしまった。
美しい顔を賛美する暴力。そんな暴力があるなんて知らなかった。
賞賛と不安に掻き回された彼女の顔は、美しいはずなのにどこか頼りなさげな顔をしていた。
いつまでも私は母には敵わないんだろうなと思っていた
最後に母だ。
母は静かな人だった。
私が喚いたって泣いたって怒ったりせず、いちいち目を見て「これはね、こういったことがあるからやっちゃいけないのよ」と説明してくれた。
母は強い人だった。
私が不登校になった時も、感情的になり問い詰めるようなことはせず、静かに精神科を予約し私に過干渉せず回復を待ってくれた。
そんな母の顔は聖母のようで、いつまでも私はこの人には敵わないんだろうなと思っていた。
そんな時、ひょんなことから母親の結婚式の写真を見つける。
そこで私は衝撃の事実を叩きつけられる。
そこに写る母のなんてあどけない顔。そこら辺のはしゃいだ大学生と変わらない顔。
母は最初から聖母ではなかったのだ。私を育むうちに強く優しくなったのだ。
母の顔は私を愛してくれた証。
私もそんな強く優しいお母さんになれるだろうか。
大丈夫。あなたの子供だから。
どうだろうか。顔にまつわる物語は。
顔は人生を呪う。それでも私たちは生きていかなければならない。
誇りを持って。
全ての顔に祝福を。