忘れられない言葉がある。
そのたった一言に、突き動かされてきた。
あれからもう、12年も経ってしまった。
わたしはまだ、夢の途中。わたしは今日も、夢の途中。
一生忘れることのできない親しい友人からの一言
「こんな汚い腕に、触れてくれてありがとう」
中学2年生の冬、親しい友人が泣きながら絞り出したその言葉を、わたしはこの先一生忘れることができないとおもう。
何気なく触れた彼女の腕には、リストカットの跡が刻まれていた。
傷跡があることは、ずいぶん前から知っていた。
リストカットはいけないことだとか、そんな風に諭すつもりは一切なかった。
ただ純粋に、痛くないのかなとおもっただけだった。
だから、彼女自身が、自分の腕を”汚い”と思っていたことに、とても驚いた。
なにかしらの辛いことから逃れるための手段だったはずのリストカットが、結果として彼女の苦しみを増幅している事実に、戸惑った。
その時のわたしは、それはもう無力なただの中学生でしかなくて、
こんな時になんて言葉をかけていいのかわからなくて。
どうやってこの苦しみを解決したらいいのかわからなかった。
なんにも、できなくて。
ただただ、無力だった。
調べる中で出会ったのは「これだ」と思えるわたしがやるべきこと
悔しかった。
なんにもできない自分が、心の底から悔しかった。
はじめてわたしはなんにもできないんだって、ちっぽけで無力な存在なんだって、思い知らされた。そんな当時のわたしにできたのは調べることくらいだった。
今ほど使いこなせていないパソコンの検索エンジンに、いろんな言葉を打ち込んだ気がする。
気がするというのは、あんまり覚えていないということなんだけど。
その時に出逢ったのが医療や福祉の現場で美容を活用する事例だった。
抗がん剤の副作用に対応した化粧の方法だったり。
セラピー要素を強めたマッサージの導入だったり。
その中に、リストカットの傷跡を隠すカバーメイクというものもあった。
これだ、とおもった。
わたしがやるべきは、これだと。
なぜだかわからないけれど、本気でそうおもった。
わたしの人生のスイッチが、ぱちんとはまった音がした。
自分自身を愛してあげられますようにと私は今日も誰かに化粧をする
そこからは、ひたすら勉強の日々だった。
大学で社会福祉を学び、化粧品販売のバイトをした。
化粧セラピーとか化粧療法とか、カバーメイクとか、わたしのやりたいことに少しでも擦りそうな講座は片っ端から受けまくった。
やりたいことを形にするために、できることは全部やってきた。
必死のパッチで、追いかけ続ける日々だった。
あの日から、12年が経った。
紆余曲折を経て、わたしは今、亡くなった方に化粧をするお仕事をしている。
ときどき、施設に出向いてマッサージをしたりもしている。
リストカットの傷跡からは、少し離れてしまったかもしれないけれど。
わたしは、彼女の言葉に突き動かされて、今ここにいる。
あの日、あの時、あの場所で。
彼女が流した涙を、わたしは絶対に忘れない。
しっかり胸に抱きながら、今日もだれかに化粧をする。
自分自身を、愛してあげられますように。
そんな願いと祈りを込めて。