「あなたが何かに迷った時に選択する基準はなに?」と聞かれた場合、わたしならすぐにこう答える。
“ワクワクする方はどっち?”
わたしは3年後も5年後もこうしてここで毎日を過ごしていくの?
この言葉がわたしを変えたのはいまから5年前、22歳の頃。専門学校を卒業して、新卒で2年ちょっと働いていた会社を辞めるか迷っていた時のこと。お給料はそれなりの額を頂き、先輩など職場環境にも恵まれ、週末は仲の良い友人たちと朝まで遊ぶ。それなりに充実している生活で、いま思い出しても文句のつけようがない程恵まれていたと思う。
その生活を変えたいと考えだしたのはSNSで目にしたとある写真。
わたしと同年代の女の子がひとりで東南アジアバックパッカーをし、現地の人たちと笑顔で記念撮影をしている写真だった。
彼女がどのような人間なのかも、なぜひとりで東南アジアを旅行しているのかも、なにも知らない。知っているのはSNSのプロフィール上に書かれている名前と生まれ年、そして彼女が東南アジアをバックパッカーで一周しているということだけ。
そんなどこの誰かも知らない彼女に、わたしは衝撃と刺激を受けた。当時22歳の私と同年代の女の子がひとりで海外旅行へ行っていて、現地の人たちと笑顔で写真を撮っている。
世の中にはこの広い世界をこんなに楽しんでいる人がいるのに、わたしは3年後も5年後もこうしてここで毎日を過ごしていくの?と考えるとゾッとした。そして“このままここに骨を埋めたくない!”という気持ちが出てきた。いま思うと極端すぎる思考や覚悟で、我ながら愛おしくて笑えてくる。
わたしはこれまで進学先や就職先などの選択肢について特に願望もなく、何となくこれで良いやという感覚で選択してきた。その選択が間違ったと感じることもなければ、その先で出会う人たちにも恵まれていた。けれど、いつもどこかで情熱を持って仕事や趣味を楽しんでいる人、自分の好きなことを選択し真っ直ぐに進んでいる人への憧れや羨ましさも感じていた。
そんなわたしにも東南アジアバックパッカーの彼女のお陰でしてみたいことも自然と出てきて、退職という選択を考えだした。
“ワクワクする方はどっち?” わたしははじめて自分に聞いてみた
「最低3年はその会社で働く」日本で就活をしたことがある人ならば一度は耳にする言葉だろう。はじめて自分の強い意志で人生の選択の舵を切ろうとした途端にこの言葉の呪縛にかかった。
いまとなればその言葉の意図も理解した上でそれでも自分の人生において最も重要なことではないと言えるけれど、当時社会人かけ出しのわたしには社会人として、そして人生においても最も重要なことのように感じていた。
両親はずっと同じ職に就いていて、周りの友人にもまだ転職を経験した人がいなかった。いままで何となくこれで良いやと緩い流れで選択してきたわたしには、この迷いの中でどう選択をしたら良いのかが分からなかった。
そんな時、東南アジアバックパッカーの彼女が「東南アジア一周のルートはワクワクするのはどっちかな?っていつもワクワクする方を選んでる!」とSNSに投稿していた。彼女は何の気なしに投稿したのかもしれないが、わたしの中ではこの言葉が引っかかった。
小学生の頃に遠足やクリスマスの前夜はワクワクして眠れないなんてことがあった。何か特別な日の前日にワクワクする気持ちを経験したことはあっても、自分に対してワクワクする方はどちらかなどと質問はしたことがなかった。
“ワクワクする方はどっち?”
わたしははじめて自分にこの質問をし、その後退職を申し出た。退職という選択の先にワクワクするものを感じたから。
選択肢に迷ったら一本に決める必要はないかもしれない
あれから5年。わたしはいまでも選択に迷うことはあるし、悩むことだって少なからずある。その先が不安に感じることももちろんあるし、考えることが面倒くさくなって投げ出したくなることもある。けれどわたしの選択肢への選択はいつだってシンプルにワクワクする方。
選択肢が何本もあってどれを選べば良いのか分からなくなることもあるけれど、1本に決める必要がなかったりもする。こう考えられるようになったのも、きっとあの時ワクワクする方を選んで色々な人や世界と出会ってきたから。そしてあれだけ広いと思っていた世界は、広いけれど遠くはないことも知った。
どれを選んでもきっと間違ってはいない。けれどワクワクする方を選んでみると新しい出会いや感動、そして新しい自分に出会えた。東南アジアバックパッカーの彼女に出会えて、そして“ワクワクする方はどっち?”という選択肢に出会えて、わたしの人生は変わった。
この先もきっと悩むことはあるけれど、わたしの選択はいつだってワクワクする方。その先でまた新しくわたしの人生を変えるものに出会うことを楽しみに生きていく。