「将来の夢はなんですか?」
「将来なにになりたいの?」

小学校の作文や友だちからもらうプロフィール帳、正月に必ず親戚のおじさんから聞かれること。幼少期から幾度となく質問されてきた「将来の夢」。

小さい頃はまだよかった。「お花屋さん」でも「パン屋さん」でも、まわりの大人たちは嬉しそうに私の話を聞いていた。とりわけ、両親から特になにかを言われることも少なかったように思う。

将来どんな職業につくのか自分でも楽しみだったし、根っからの妄想家のわたしは、「もしお花屋さんになったら…」だの「チョコレートが好きだから絶対にチョコパンをつくる」といった妄想を繰り広げていた。

自分がつきたい職業と、親が納得する職業の妥協点

そんな夢物語が突如終わりを迎える。きっかけは、高校入学。「将来の夢」なんていう甘い響きは、「進路選択」といった無機質で味気のない言葉に変わっていく。いつのまにか、妄想している場合ではない年齢になってしまったのだった。

もう「お花屋さん」になりたいと言っても、大人たちは笑ってくれない。
「チョコレートのパンを作りたい」と言っても、パン屋さんは朝早くて大変だよなんて言葉でたしなめられる始末。

大学に入学してからは、いよいよ「将来の夢」なんて言ってられなくなった。就職活動が目前に迫るなか、どんな職業に就きたいのかいやでも考えざるを得なくなったのだ。
少しでも興味のある職業を親に伝えると、なにかと理由をつけて却下される日々。その職種は残業が多くてきっと大変だよ、その業界は気の強い人ばかりいそうだから向いてないと思う…などなど。今思えば、娘の将来を心配する親心に過ぎないと思うのだが、当時はそれすら考える余裕もなかった。
自分がつきたい職業と親が納得する職業の妥協点を探り続ける毎日。ようやくOKをもらえたときは、まるで企業から内定をもらえたかのような安堵感だった。

どこかでまだ「将来の夢」を追い続けていたかった

本当に内定をもらったときは、やっと就職活動を終えることができる達成感と親が喜ぶ顔を想像して、心の底からほっとしたのを覚えている。
ただ、そんな安堵感も長くは続かない。親の納得感が最優先だったため、自分が納得できないことには積極的に目をつぶっていた就職活動。それが裏目に出たのだった。
新卒で入社した会社は、年に2回ボーナスも出るし、福利厚生もきちんとしている。これからずっと仲良くしたい同期もできた。
それでも、「なんだかなあ…」という毎日が続き、閉塞感に耐えきれなかった。
社会人とはこういうものだといくら上司や先輩から叱られても、私はどこかでまだ「将来の夢」を追い続けていたかったのかもしれない。

自分が見つけた宝物のような「将来の夢」

「進路」や「仕事のやりがい」のような立派で素晴らしいものではなくて、やわらかくて不安定で、自分にしか見つけられないような「将来の夢」。
次は親が納得するものではなくて、私だけの「将来の夢」を見つけたい。湧きあがった願望はもはや自分でも止めることができなかった。

それから2回の転職を経て、2021年からフリーランスのWEBライターとして活動することにした。新卒で入社した会社に比べたら、不安定でグラグラしていてどこか頼りないフィールドなのは否めない。
それでも、私だけの「将来の夢」を叶えられそうな現状に、わくわくしている自分もいる。
今度こそ、自分を遠く、遠くへと連れて行ってあげたい。そんな気分だ。
親が納得するような「将来の夢」はもうおしまい。
自分が見つけた宝物のような「将来の夢」をこれからは大切に育てていきたい。

それが、私の働く理由なのだから。