普段の生活の中で、人と違った行動をとって、変だと思われることがとても嫌だった。小学校に入った頃くらいから、常に人の目を気にして生きてきた。自分の口にした言葉が人を傷つけたり、自分の意図しない方向に解釈されたりするのをひどく恐れていた。
昔からとにかく目立ちたくなくて、うまく隠れる方法はないかとばかり考えていたように思う。
それなのに、仲のいい友人たちは私のことをちょっと変だとか天然だとか、そういった悪意のない思いつきの言葉で不思議ちゃんというキャラクターに仕立て上げてしまった。不本意だった。私は変わっている、という言葉を突きつけられるたびにびくびくしていた。
だが、幼稚園、小学校、中学高校と、すべて一貫の女子校で育ったため、皆カモシカのように優しかった。

言葉の通じない、弱肉強食の世界。ジャングルみたいだ

しかしながら大学は違った。私はそこではじめて共学を経験した。
大学の皆はハイエナみたいにガツガツしていた。なんだここは、と私は愕然とした。皆生きるのに必死で、なりふりかまわず、価値観もありとあらゆる感覚もちがった。
パジャマで登校してくる強者もいた。
ここは言葉の通じない、弱肉強食の世界。ジャングルみたいだ、私は天を仰いだ。
友達がいないというわけではなかったが、とても表面的な付き合いだと思っている自分がいた。
大学二年生になり、意味もないのに突然涙が止まらなくなるといったことが増え、精神科に通いはじめた。ひとりで授業を取ることが増え、誰とも喋らずに帰った。

プレゼンテーションが大の苦手。大学中退も考えた

私は彼らのようにうまく大学生をすることができなくて、毎日酸欠の魚のように口をパクパクさせもがいていた。
とくに私を悩ませたのは人前での発表だった。もともと極度のあがり症なのもあって、プレゼンテーションというものがからきし苦手なのだ。しかし私は万全の準備をして、入念にリハーサルを重ねてそれにのぞむことにした。なんどもシミュレーションすれば大丈夫、と言われたからだ。
しかし、聴衆であるクラスメイトたちは、私のプレゼンを聴き、重箱の隅をつつくかのように細かな欠点を徹底的にあきらかにしては攻撃してきた。
私の話は回りくどくて何を言っているのかわからない、とも言われた。
プレゼンをしないことには卒業ができない学部のため、中退することも本気で考えた。
どうしてそんな簡単なことができないの、と周りが思っているのはわかっていた。自分でもそう思う。
しかしどうしてもできないのだった。
病院で処方された薬を飲んで、プレゼンの授業に出るようになった。

薬を飲んでもあまり症状はかわらなかったけれど、少しの気休めにはなっていると思うようにつとめた。

語学留学を決意。誰も私を知らないところへ

当時の私には社会不安障害、というラベルがついていた。ラベリングされて、私はどこかでホッとしたような気がしていた。
月に2回、先生のもとに通い色々話をした。
先生は、大学をやめようと思っていることや薬があんまり効いていないこと、私のまわりくどい話を何も言わずに頷いて聞いてくれて、一言こういった。
「どれも君の持ち味ですよ」
持ち味、という言葉はそのとき私の胸にすとんと落ちた。
「君は文章を書くことに注力するのが一番だと思いますよ」
私はなんだか気持ちがすごくすごく軽くなっていったのを感じた。薬を服用したときなんかより、その効果は歴然としていた。
私は大学を辞めるのは保留にして、語学留学をすることにした。実際、行き先はどこだってよかった。誰も私のことを知らないところで生活してみたかった。
留学費用はバイトで稼ぎ、少しだけ両親に援助してもらった。
ショッキングピンクのスーツケースに荷物を詰め込んで、私は見知らぬ土地へ一歩を踏み出した。