私は小学校6年生のころ、運動会の応援団になった。その練習の時、同じクラスの応援団の男子が、ちょっと誇張した感じ、ふざけた感じで私の真似をした。それを見た瞬間、悲しみが急激にこみあげてきて、「もうやだ!」と泣きながら練習場から走り去り、私を引き留めた女の子の腕を振り払い、階段を上り、教室の前の廊下で泣いた。
後からその男子には謝られた。
家に帰ってからその話を母にしたら、こんなことを言われた。
「その子は冗談でやったんだから、泣かなくてもいいじゃない。」
最近この話を思い出し、ふと思った。
「相手が冗談でやったのだとしても、私は傷ついたんだよな。」
今思い返すと、本当にちょっとふざけただけなのだろうし、泣くほどのことではなかったなと思う。その男子も私が泣いて驚いただろうし、謝らなければいけない雰囲気にしてしまったのは申し訳ないという気持ちもある。
でも、当時の私は、男子の行動で傷ついたから泣いた。男子は傷つけるつもりがなかった、冗談だったのかもしれない。
それでも、私はその「冗談」で傷ついたのだ。
「冗談が通じない」と相手のせいにしないでほしい
「冗談」を辞書で調べてみたら、本題からずれるけれど、相手を楽しませたり、驚かせたりするような言葉のことらしい。つまり、「冗談が通じない」というのは「楽しませるつもりで言ったのに、なんで悲しむの?何で怒るの?」ということなのだろうと思う。
でも、私は思う。
何かを言われて傷ついた、怒りがこみあげてきた人に対して「冗談が通じない」と追い打ちをかけるのは違う(言うだけでなく、そういう空気になることも)。
言葉を言った本人にとっては冗談でも、言われた方が冗談だと思えなかったらそれは冗談じゃない。それを「この人は冗談が通じない」と相手のせいにしないでほしい。
何で私はこんなに熱くなっているのだろうと考えてみると、私が「冗談が通じない」人だからだ。
小学生のときよりは心が強くなったと思う。でもやっぱり、些細な言葉に刺されることがある。
相手は私に紙飛行機を投げたつもりでも、私はナイフが飛んできたように感じることがある。そんなときに「冗談が通じない」という空気になってしまったら、私は「この言葉で傷つく私がおかしいのか」と自分を責めると思う。
その空気を想像しただけで暗い気持ちになる。
この言葉で傷つく人、怒る人がいる。心にとめてほしいこと
私は願っている。
もし、冗談のつもりで言った言葉で相手が悲しんだり怒ったりしたとき、「冗談のつもりで言ったのに。」と思ったとしても、「この人は冗談が通じない人なんだな。」ではなく、「この言葉を冗談と受け取らず、傷つく人、怒る人がいる」ということを心にとめてほしいと。自分の言葉に何か良くない点があるのではないかと考えてみてほしいと。
正直、「冗談が通じないから嫌だ」と思って離れるのは自由だと思う。でも、一度自分に原因がないかを探してみてほしい。
書きながら、私自身も気をつけなければいけないなと思いつつ、たくさんの人がこのことを思ってくれたらいいなと感じている。