愛してくれてると思っていた彼でさえ「保険」をかけていたと気づき、私は彼を手放した

捨てる、と聞くとマイナスなイメージに捉えられ、「断捨離」と言い換えればプラスに感じる。
私はある日を境に「手放せたことをえらい」と思うことにした。
私は捨てられない女だった。それは、人も物も。
数年間、だらだらと同じ男性と付き合い続けていた。
未練や面倒くさがりからきた行動だと思う。
今にして思うと、彼には申し訳ないことをした。
無意識に相手を「保険」と見るようになっていたから。
彼の時間に対する贖罪ではなく、彼の心に謝りたい。
「彼女がもう30になるから結婚しないとな」
久しぶりに会った同級生のAくんが、そんなことを呟いた。
私は「そうかもね」と興味なさそうに返事をした。
きっとAくんは責任や世間の風潮からそんな気持ちになったのだと思う。
将来を考えてもらえているAくんの彼女は幸せ者だろう。
30を目前に彼氏と別れる女友達を私はたくさん見てきた。
「この間さ、私のこと捨てるつもり?って喧嘩になって」
突然、Aくんは生々しい話をしてきた。
しかし、その話題もウンザリするほど聞いていた。
「好きかって言われるともうヤリたくない日も多いし微妙だけど別れるのもなぁって」
Aくんはいつも直球だ。ストレート魔球。
一般の男性よりも感情が豊かで、ときどき女友達と話しているような内面が見える。
「そこに愛はあるんか?」
某CMのセリフが私の頭の中に流れた。
きっと、今のAくんと彼女が結婚してもごく普遍的な行く末になるだろう。
決定的な出来事がない限り「こういうもんでしょ」という
現代的クールな思考で、しばらく続くのだと思う。
真昼の暖かい陽が射す喫茶店。
Aくんのトイメンで、私は長年付き合ってお別れした彼を思い返していた。
彼は私のことをとても好きだったと思う。
私も彼といると気を遣うことなく、自然体でいられた。
その関係性に高を括っていたのだ。
彼とお別れするに至った原因は、他愛もない喧嘩が引き金だった。
内容はもう覚えていない。
彼が私に言い放った言葉だけ、今でも鮮明に覚えている。
「こんな何年もいたんだからさ……」
その言葉を聞いた瞬間、私の中でピキンと何かが落ちるような音がした。
私だけを見ていると思っていた彼も、その言葉で保険をかけていたと知ったのだ。
(ああ、なんだ。同じ気持ちだったんだ)
私はその日の夜に別れる決断を口にした。
彼はひどく動揺していたけど、売り言葉に買い言葉なのか、「好きにすればいい」と数年間の関係は脆く千切れ去った。
ずっと一緒だから、という保証はこの世界にない。
引き返せないと決めつけて、自分を納得させるのも惨めに感じた。
まさか自分が呆気なくお別れできるとは思っていなかったが、トントン拍子に話が整理つくと肩の荷がスッキリと下りた気がした。
その後しばらく、LINEには彼から連絡がきていたけど全部無視した。
そうしている内にいつしか連絡も途絶えた。
何年、たとえ何歳まで一緒だろうと心まで契約できない。
彼の中にも、私と同じように限りある時間が流れている。
終わらせてあげることも大切だと経験した。
私は世捨て人になった訳ではないけど、
この時から「捨てることができた」自分をえらいと思うことにした。
コーヒーの匂いが充満する喫茶店で、Aくんは彼女にLINEを打っていた。
少し困った目つきと、口元には微笑みを浮かべて。
私は「ちゃんと結婚してあげなよ」と言った。
Aくんは「え?そう言われるとどうかなぁ」と何ともいえない返事をした。
愛は「責任」と「自由」の二律背反だ。
きっと、一年でも若く私が彼を手放してあげたことは後に笑い話になる。
ただ心から謝りたいことは、あなたの存在に保険をかけてごめんなさい。
次は別の誰かと、素晴らしい恋をしてください。
それが「私じゃなくて」ごめんなさい。
責任や、義務ではなく、
あなたを心から愛してくれる人との幸せを願っています。
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