はじめに葱をみじん切りにしておく。これは必須。冷蔵庫の中に、ベーコンかハム、ウインナーがあれば、5ミリ四方くらいに刻む。
 卵はサイズにもよるけれど、ぜいたくに1人前あたり2個使うと綺麗だ。適当な容器に割ってざっくり溶きほぐし、顆粒の中華スープの素を小さじ1入れる。
 忘れちゃいけないのはごはんを温めておくこと。私は小分けにして冷凍保存しているから、必要な分をレンジで解凍する。この解凍が終わるまでの三分間で、チャーハンをほめてくれた女のことを考える。

調理実習で、私は彼女からの屈託のない称賛がはずかしかった

 得手と不得手を語れるほど料理に入れ込んではいないけれど、強いて得意を問われたら卵チャーハンと答えている。具は葱だけ、あればハムかベーコンも入れるくらいの、本当にシンプルなものだ。お米がぱらぱらした状態に仕上げるのが割と上手い、と思う。最初にこれをほめてくれたのは高校の同級生で、1年生のとき、調理実習で同じ班になった女の子だった。
 その日の家庭科の課題は卵と葱のチャーハン。どういう組み合わせで班が作られたのだったか、私と彼女と、ほかに男子が2人か3人。出身中学も違う、部活も普段のコミュニティも違う彼女とは、クラスメートながら、まともに話すほとんど初めての機会がそれだったはずだ。
 私がふるうフライパンの中、葱の緑と卵の黄色を覗き込んだ彼女は、「すごい、上手いね!」とか、だいたいそんなことを口にした。
「だってほかの班、けっこう焦げ付いてるよ。すごーい」
 たぶんそんなふうに言っていた。綺麗に焦げ付かず、ぱらぱらにできていることをほめてくれたのだ。私は彼女からの屈託のない称賛がはずかしくて、どんなぎこちない言葉で謙遜したのだったか、よく覚えていない。
 彼女は同学年の中でもとりわけ目を引く美少女だった。

人混みの中でも目を引く彼女は、周囲からのやっかみが少なかった

 この美少女を仮にAとしよう。Aは小柄ながらも、華やかさゆえ、妙に存在感がある女の子だった。やっとの思いで入学した高校、どぎまぎとしながら指定された席に着いて周りを見回せば、同じクラスに飛びぬけて綺麗な子がいると分かる。それが彼女だった。遠くの席からでも、肌の色が透けるように白い。少し髪色が明るかった覚えがあるけれど、地毛の色素が薄かったのか、染めていたのかは分からない。
 人混みの中でも目を引く彼女は、それでいて周囲からのやっかみが少なかった。
 15歳の私は、彼女を初めて見たとき「これほどの美人なら性格に難ありかも」なんて失礼な印象を勝手に抱いたものだったけれど、数か月が経っても悪い噂はとんと聞かなかったし、私自身の認識も改めた。頭もよくて筋の通った考え方をする、辛辣でこそなくともさっぱりとした物言いの、とても綺麗な子。それが私の思うAだった。

 調理実習から丸2年ほどが経って、高3になった私は、Aと少しだけ交流が増えていた。この頃にぐっと仲良くなった共通の友人がいたので、帰路を途中までともにしたり、3人でカフェの一角を陣取って英語の問題集を広げたりした。やはりAはとびきりの美人で、それでいて、周囲からのやっかみは少ないように見えた。
 結局、見えていただけだったらしい、と思ったのは本当に高3の終わり際のことだ。

 Aはとある大学の推薦入試枠に選ばれた。当然、選出されたからには本人の希望だったはずだ。問題はAのほかに、その推薦入試枠を熱望していたBという同級生がいたことだ。真偽のほどは定かではないが、Bはその大学の推薦枠がほしい、と前々から周囲に公言していたという。それをAが知らなかったはずはない、希望したこと自体が一種の裏切りだ――というのが、Bに同情的な立場から流れ出てくる噂なのだった。

高3の時でさえ、彼女にチャーハンの話をしたことはなかったのに

 私はといえば教室前の廊下で単語帳をめくりながら、Aならばそういうこともあるだろう、と思うだけだった。事実だとして悪いこととも思えなかったし、結局は、Aに対するやっかみが露呈しただけのように感じられた。高3にもなって、言うことはまるで中学生と変わらないのかと、己が学び舎にげんなりしたくらいだった。推薦入学が決まるたびに3年生のフロアは閑散としていき、そのうちにAとも会わなくなった。

 もしかしたらだけど、彼女は自分の容姿に対する周囲のいろんな視線なんて、最初から全部織り込み済みで暮らしていたのかもしれない。それでも選択がぶれない子だったから、いっそう綺麗に見えたんだろうと、10年以上経って今は思う。

 高3の時でさえ、彼女にチャーハンの話をしたことはなかった。そもそも当時は私自身忘れていた。それなのに一人暮らしのアパートで、賞味期限の近い卵を見るたびに今は、調理実習のことを思い出す。
 ようく熱したフライパンにごま油を熱したら、まずは刻んだ葱、次にベーコンを加えてさっと炒める。溶き卵を流し入れたらすぐにごはんを投入して、木べらで手早く切るように混ぜていく。最後に塩胡椒で味を調え、醤油をひと回ししたら完成。食べ終えるまでの間だけ、これをほめてくれた、今はどこにいるのかも知らない女のさいわいを祈る。