私は昔、とても好きな人がいた。初めて、真っ直ぐ好きになった人がいたのだ。その人は、とても大人で、私なんかじゃ叶わないような素敵な男性だった。人生を一生懸命考え、自分と向き合い、人を大切にできる人だった。

その人とは、とある共通の趣味などで、声をかけて一緒に出かけることが年に数回あった。出かける度にいろんな話をしたし、聞いてもらった。そして、人生を数年私よりも生きているだけなのに、三十年分違うくらい、物事や人々の気持ちを真っ直ぐ、真剣に考え生きていて、会う度に、話を聞く度に、私は刺激を受けていた。

突然の愛の告白。私は毎日スマートフォンを気にして過ごした

会う度に、自分は成長ができた。今までにない考えや、生き方を見つけ、頑張れた。一生懸命なその人がいたから、私も人生に一生懸命になれたのだ。その人と出会って、地球の反対側に落っこちたくらい、私の生きる世界は良い意味で変わったと思う。

そして、「こんな人になりたい」
そう会う度に思った。
そう思う度にまた会いたくなった。

そして、久々にあったある日、私はポロリと言ってしまったのだ。

「好きです」

それは、予告もなく突然だ。私も自分で告白しようなど決めてもいないのに、突然出てきてしまったのだ。人生の先輩は、その時、とても動揺していた。まさか、告白されるなんて思ってもいなかっただろう。私も思っていなかった。

「考えて、返事する」

そう言われて、私は毎日、スマートフォンから通知が来るのを待った。言ってしまったという気持ちと、言えてよかったのだろうという気持ち。いろいろ頭の中で混ざって、毎日ドキドキしながら落ち着かないまま待っていたのを覚えている。

そして、一週間後。
電話が来た。

「これから、会ったりしてお互いを知りたいかな」。ふられたけど、嬉しかった

「ごめんなさい」

返事はノーだった。でも「これから、会ったりしてお互いを知りたいかな」なんて言って貰えた。嬉しくて、また、早く会いたいと思った。

それからは、何度か人生の先輩に私は会ったのだが、何故か、相手にされていないように思えてしまった。優しい先輩がそんなことは無いと思う。いや、無い。自分がそう思ってしまっただけである。

幼すぎる私は、から回って上手く喋ることもできないし、人生を一生懸命走る先輩に追いつくことが出来なかった。いくら頑張っても、先輩との仲を縮めることもできなかった。正直に、真っ直ぐ話すこともいつしか出来なくなって、無理をしていたようにも思う。

やがて、会わなくなり、私は諦めた。
そして、今は、その後に出会った旦那と幸せに暮らしている。

そして、今、私は思うのだ。
私は人生の先輩を好きだったのではない。
憧れだったのだ。
目標だったのだ。
先輩のようになりたかっただけなのだ。
ただ、ああなりたかったのだと。

愛の告白じゃなかった。だから先輩の答えは「ノー」だったのではないだろうか

あの時、告白したけれど、あれは愛の告白なんかじゃない。

「あなたみたいになりたい」

そんな気持ちが込められた、人としての、憧れているの“好き”だったのだろう。だから、先輩の答えはノーだったのではないだろうか。

私は先輩のように大人になりたかったから、無理をしてしまっていたんじゃないだろうか。会えば会うほど、追いつける気がして、一生懸命だったのではないだろうか。私は、確かに好きだったが、きっと、恋愛とは少し違ったようだ。でも、その憧れの先輩が私に“ノー”と言ってくれたおかげで、私は大人になることが出来た。

今、先輩なんかに負けないくらい、人生にも自分にも真っ直ぐ、一生懸命向き合える素敵な大人になったと胸を張って言える。先輩を目指すのをやめて、自分らしい大人に一生懸命目掛けて走ることができるようになったからだ。

そして、それがあったおかげで、大切な人生のパートナーに出逢え、幸せに生きている。
私がこんなにも、成長できたことに、今でも先輩には感謝している。先輩がいなければ、人生や自分のことを一生懸命考えることはなかったのではないだろうか。

ちゃらんぽらんに生きていただろう。
憧れの先輩がふってくれたから、私は気がつくことが出来たのだ。
自分らしく一生懸命生きる大切さを。
出会えてよかったと、心から思う。