昨日、こんなことがあった。
ランチで入ったスペイン料理屋で、隣にはマッチングアプリで出会ったらしい30歳前後と思われる男女が座っていた。私は一人でスパークリングワインを飲み、パエリアをつつきながら、二人の弾まない会話に耳を澄ませていた。
男性は早稲田大学卒らしく、未だに受験の話を披瀝したり、NewsPicksあたりで読んだらしいワクチン接種に関する意見を早口で開陳していた。聡明そうな女性は、すでに興味を失っていることをそつなく隠しながら、相槌を打ったり質問をしたりして、彼の自分語りが疾走するにまかせていた(ように見えた)。
強固な偏見だとわかってる。だけど私は早稲田卒の男性が受け入れられない
乏しい経験に基づいた強固な偏見だが、私は早稲田の男性が嫌いだ。
もちろん、早稲田出身で素晴らしい人はたくさんいる。早稲田卒の優秀な同僚、早稲田卒の信頼できる友人たちに囲まれて、私の人生は豊かに彩られている。だが、こと恋愛においては、愛校心や同窓意識の強さ、学歴への矜持と卑屈さがないまぜになった面倒くささ、高学歴ぶるときと馬鹿なことをするときに態度を巧妙に切り替える小賢しさが、我慢できなくなる。
社会人になってすぐ、早稲田出身の男性と付き合い始めた。入社前に同業の同期会で仲良くなった、私の内定先よりもちょっと有名でちょっとお給料が高い会社の、新入社員だった。
ある日、初任給があまりにも低いことに対して思わず愚痴をこぼしてしまったら、彼はこう言った。「給料低い会社にしか入れなかったんだから仕方ないじゃん」。そしてこう続けた。「俺がいるんだから給料低くても問題ないよ」。
学歴と会社への誇りをにじませる彼。気持ちは急速に冷めていった
彼を私の大学同期の女友達に紹介したとき、こんな一幕もあった。
「そういえば早稲田のご出身だと伺いました」
「そうです。……いや、早稲田なんて『普通』の大学ですよ」
1年で30人以上が東大に合格する進学校出身の彼女は、彼のこの発言をどう思っただろうか。私は怖くて彼女の顔を見られなかった。
事あるごとに学歴と会社への誇りをにじませる彼への気持ちは、急速に冷めていった。偏差値なら互角の大学を出ている私は、「早稲田にマウントをとられる筋合いはない」とどこかで軽く見ているところもあったのだと思う。次第に、彼のすべてが気に食わなくなってしまった。
少しいいレストランに行って、料理の説明を聞くとき、よくわかっていないのに「へえ……」と声を挟むところ。賞与がほとんど出ない私の前で、「ボーナス入ったんだ」とフェラガモの靴を買うところ。従弟の結婚式に出席し、「世俗の幸せなんていらない」と感想を漏らすと、「世俗以外にどこに幸せがあるの?」と返してきたところ。映画『寝ても覚めても』を一緒に観に行って、自分の意志を貫く選択をした唐田えりか演じる主人公を、「汚れ役だ」と評したところ。
間もなく、彼と私はお別れした。
学歴で相手を測るような態度をとっていたのは私だった
早稲田を「『普通』の大学」と表現したように、彼はただ、身の丈にあった幸福を大切にする人だったのだと思う。実直に仕事をこなし、順当に結婚し、ささやかな幸せを大切にしながら健やかに暮らしていく。私がマウントと受け取った言動の数々も、無邪気で自覚がない(それゆえに残酷な)振る舞いだったのだろう。
彼が東大卒だったら、私はもっと彼の「普通」を尊重することができたのかもしれない。そして、お互いの「普通」を共有できるように、歩み寄ったのかもしれない。学歴で相手を測るような態度をとり、目の前にいる彼ときちんと向き合わなかったことを、今は少し申し訳なく思っている。
だが私は偏見で生きているので、今日もマッチングアプリで早稲田卒の男性が表示されれば条件反射的に左スワイプをして、反省を水泡に帰している。