私が将来なりたいのは、編集者だ。
そう思ったきっかけは、大学1~4年次で働いていたアルバイト先での経験。自分から情報を発信する物(雑誌なり、書籍なり)を創り出す、この仕事に「ワクワク」を感じたからだ。
学生時代に出版社でアルバイト。小言が多かったけれど…
私は幼少期から、将来働くとしたら「ワクワク」出来る仕事に就きたいと考えていた。自分に興味のある事であれば、そう簡単に辞めたりはしない。好きな英語も「ワクワク」を感じられたから留学までして極められたし、趣味の茶道も「ワクワク」を感じるからかれこれ8年は続けている。
私は学生時代、東京の出版社で時事ニュース系の週刊雑誌を担当している部門でアルバイトをしていた。その会社では女性誌、男性誌も出版している。
私の部門はかなり編集者とアルバイトが近くにいる職場だった。紙のコピーや印刷、各編集者が校閲する為に何十部も印刷して担当者に渡す作業等の雑務が私の主な仕事ではあったが、それ以外にもインタビュー先での編集者とインタビュアーとの言葉のキャッチボール、イラストレーターから写真を受け取り、それを編集者に受け渡す仕事など、様々なお手伝い業務を行っていた。
最初はアルバイトなのになんでこんな難しい作業しなければいけないのだ、めんどくさい……などと文句を言っていたが、ある時、編集長の一声で編集者が皆一斉に動いた瞬間を見てから、そんなネガティブな小言は出なくなった。
残されたのはたった12時間。携わった自分も編集者と一緒に残った
それは、12月22日号の雑誌記事が出来上がり、ホワイトボードに張り付けられた1ページ1ページを編集者皆で確認した時だった。
私もその号のお手伝いをしていたため、少し気持ちが入っていたという事もあり、編集者達の中に入って最終チェックをした。もう最後だからささっとチェックして早く終わるだろうと私は余裕こいていたが、編集長が出来上がった最終記事を見て、こう言い放った。
「全部差し替え!」
この一言で、チェックをしていた人全員が動いた。それが金曜夜7時……。土曜午前には完成された記事を印刷会社へ持って行かなくてはいけないため、残された時間は約12時間しかない……。
そんな限られた時間で、ざっと20ページ分の記事を書き直さなくてはいけなくなってしまった。その時私はアルバイトであった為、規定時間を超えた時間は残業しなくてよかった。だが、私はどうしても自分が携わった記事を最後まで見届けたかった。だから、お手伝い係として編集者さん達と一緒に会社に残った。
編集長は、少しでも気に食わない記事、レイアウトを見つけると絶対にそれを発行させない。私が担当した週刊誌は、レイアウトが非常にユニークで、文字だけでなくグラフも使いながら分かりやすく時事ニュースを発信していた。編集長は、その時のレイアウトが分かりづらいと最終的に判断し、ほぼ全てのページを作り直す指示を出したのだった。
会社が入っているビル管理の関係で夜10時には外に出なくてはいけなかったが、編集者達はどこかのカフェに行き、徹夜で記事を書き上げていた。その中には家庭を持つ方だっていたし、私の仲の良い編集者はその日パートナーとの約束があったらしい。勿論ドタキャンだ。
あの瞬間、どんな最高なものが出来るのか、ワクワクしていた
次の日の朝8時には編集者全員が会社に着いて写真や1ページのレイアウト等の変更に没頭し、何とか期限の土曜午前には印刷会社に記事を持って行けた。その週の雑誌は、ちゃんと規定通り、日曜日には書店に綺麗に置かれていた。
そして何日かしてからフラっと立ち寄った書店で、あの時の雑誌が置いてあった。それを見た瞬間、自分がアルバイトとして関わっていただけの雑誌なのに、とても感慨深く感じた。30分私が立ち読みした時間の中だけでも15人以上はその雑誌を試し読みしては、レジに持っていってお会計をしていた。こんなにも読まれている雑誌だったのかと驚いたのと同時に、私もすこーしだけ携わっていた編集に誇りを感じた。
プロの編集者たちによって発行された雑誌を見た私は、いつか私も沢山の人に読んでもらえるような最高のものを作れるプロになりたい、と思った。
それと同時に、残業をしてまで手伝った編集の作業は、私にとって何も苦痛ではなかったと感じていたことに気づいた。むしろ私は新しい記事を作る作業に「ワクワク」を感じていた。誤字脱字のミスを一文字も許されないあの瞬間、どんな最高なものが出来るのか、ワクワクしていた。
だから、私は胸に誓った。
「ワクワク」を感じた編集の仕事に携わり、沢山の人に読んでもらえるような「最高の記事」をいつか絶対作る。