今の私を一言で言うならみんなお調子者と言うだろう。そう、今の私はお調子者。しかし生まれ持った先天性なものではない。ある一言によって後天的に備わったキャラである。
優等生って、別に周りを幸せにできる人ではないのか…
私が小学2年生のとき、自分で言うのも何だが何をやるにもトップだった。それもそのはず、週1のピアノ、週3のそろばん、週5のスイミングを習っておりできないものはなかった。所詮小学生なんて人よりやれば何でも上に行けた。先生からも気に入られた。いや、気に入られるようにずっと優等生ぶっていた。
そしてたくさんの友達に言われた。「何でもできていいね。」と。しかしその言葉を投げかける友達の顔はみんな少し寂しそうに見えた。私はそれがすごくコンプレックスになった。私が何か人よりできても誰もが喜んでいない。むしろ嫌がっている子もいるように思えた。その言葉は私を変えた。
なぜなら自分より点数低い子や運動ができない子でも周りの人達がとても楽しそうにしてたから。私も周りの人を笑顔にできる人になりたい。ではどうすれば良いのか。まず優等生でいるのを辞めた。イタズラをいっぱいし始めた。その分先生にも怒られるようになった。テストの裏には変なおじさんの絵ばかり描いた。おかげで当分かわいい絵を描くのが苦手になったのは言うまでもない。自虐を言うようになった。少しずつみんなが笑ってくれるようになった。徐々にお調子者になった。5年生の時には懇談で「こんなおもしろい子初めて見ました。」と母親は言われたそうである。母親は「うちの子どっから道間違えたんやろ。」と思っていたみたいだが。間違えたのではない。切り開いたのだと思っている。
できない子っておもろい。自分を見つめてわかったこと
中学生までは勉強はきちんとしていたがみんなをもっと笑わせるために高校生になったら勉強をしないと決めていた。進学校に入学したのでテストは難しく低い点数を取るのは簡単なことだった。とりあえず欠点を取りまくった。最高記録は12教科中11教科欠点。大爆笑だった。なんて気持ちいいんだろうと思った。1点も取った。
親も学校に呼び出された。今思えば親に悪いがその時はそれすらも話のネタになり美味しかった。私はできない自分になり世界が変わった。なぜか自分の人生に色がつき花が咲いた。正直小学生の頃に言われた些細な一言。それがこんなにも私を変えるきっかけになったのは本当に驚きである。言っている本人は何気なく言っているのかもしれないが言われた本人は必ずしもそのまま受け取るとは限らない。
できない自分になることが本当に正しかったかなんてわからない。でもあのまま優等生の自分で生き続けていたらどうだろうか。こんな楽しい毎日を送れていれただろうか。周りの人の笑顔をこんなにも見れる毎日だっただろうか。私はあの時のひとことにとても感謝している。自分を考える時間をくれてありがとう。こんな人生にしてくれてありがとう。できない自分が大好きだ。