コロナ禍真っ只中の昨夏、私は母になった。
妊娠が分かったのは2019年12月。
当時結婚2年目で「そろそろ子どもが欲しいね」と主人と話し始めて数か月。
とても嬉しかったはずなのに、喜び方が分からず主人と二人で照れ臭い微妙な反応になったことを覚えている。
その頃はちょうどお隣の中国でコロナウイルスの発現が取り沙汰され出した時期ではあったが、まさか1か月後にはこちら日本にも大きな影響を及ぼすなど思いもしなかった。
その頃はまだ「オリンピックベビーになるね」と呑気な話さえしていた。

全部が全部思いのままにいく妊娠出産は難しい

悪阻もそこそこひどく、食べ物もなかなか受け付けない日々。会社を早退しベッドから動けなくなる日もあった。
ありがたいことに周囲の面々はそんな私に親切にしてくれ、内心疎ましく思われているのではないかと心配になりながらもメンタルは大いに救われた。
勤務する職場は美容健康を扱う仕事ゆえに、女性の割合が多い。妊娠出産で抜ける社員の分は他の残ったメンバーでカバーする。
暗黙の了解で、誰かが出産で抜けると次の番が回ってくるまでは抜けられないというような意識があったように思う。考え過ぎかもしれないが、少なくとも私はそう思っていた。
もっと女性が周りの目を気にせず、自分のタイミングで妊娠出産できる世の中になれば良いのにと切に思うのだが、誰に何を伝えればこの現状は打破されるのだろうか。
また、すべての女性が出産を望むかと問われればそうとは言えない。望んでいたとしても授かるのが難しい女性も数多い。その人たちにとっては、妊娠出産を理由にフェードアウトしていく私のような存在は心の底からおめでとうを言える存在では決してないであろう。
全部が全部思いのままにいく妊娠出産は難しい。
バースプランなんてあってないようなものだ。

もう少しで産前休暇というタイミングで緊急事態宣言

そんなこんなで時は流れ、もう少しで産前休暇というタイミングで政府による緊急事態宣言が発令された。
業務を軽減してもらいつつも仕事にやり甲斐を感じていた私は、仕事をやり切り休暇に入るまであと少しというところで「休業」という文字を突きつけられた。
今後のビジョンを身図り会社から離れる者、休業期間を耐え忍び会社に残る仲間。色々なメンバーが周囲にいる中、自分の進退に関しては大きな選択をせず、目前に迫ってきた「出産」に向かおうとする私は、ある意味ラッキーだったかもしれない。目下に広がるコロナの経済に及ぼす影響から少しばかり目を背けた。妊娠発覚当初には想像できなかった現実が続き、何かを考える度に無駄な疲労を感じていた。

残念なまさかはまだ続く。
当初予定していた立ち会い出産の中止。初産で不安がないことはなかったが、きっと産院にとっても苦渋の決断であったことを慮ると我慢するしかないと気持ちを強く保った。
毎日お腹の中でぐるぐる動き回る我が子を感じて、「この子が産まれる世界は大変かもしれないが、責任をもって育ててみせる」と逆に母としての覚悟は強まる一方だった。

今は私がこの子に前向きに生かされている

そして、我が子と対面の日。
覚悟はしていたものの出産は予想を越える壮絶さ。子を産み出すエネルギー=陣痛であると思っていたのに、ただただ痛い。今までに経験したことのない逃げられない痛みだった。
何時間、何十時間と苦しい時間が続いた後、フーッと力が抜けると同時に出てきてくれた我が子。
その一瞬は我が子と自分しか世界にいないような、不思議な感覚だった。やっと会えた喜びや無事産まれてきてくれたことへの安心で胸がいっぱいになり、今までの大変だった日常も忘れられた。

そして現在、我が子は元気にすくすくと育っている。
メディアを見渡すと相変わらずコロナの話題ばかり。コロナと直接的な関係がなくとも、辿れば起因することも増えてきたように思う。今までの自分が鈍感だったのか、最近は殺伐とした批判的な世の中になったような気がして非常に生きづらい。
そんな時、我が子の顔を見る。手を握る。こんなに小さい身体をしているのに純粋無垢な瞳からは私より遥かに大きなエネルギーを感じる。「責任をもって育ててみせる」と覚悟したのに、今は私がこの子に前向きに生かされている。
「あなたが産まれた時、世界はこんなに大変だったのよ」といつか話す時、ディスタンスなど気にせず身を寄せ合える世の中になっていてほしい。