いつも味方でいてくれた。
私の誕生日には必ず、「生まれてきてくれてありがとう」と朝一番に伝えてくれた。
私はそんなあなたに、酷いことしかしてこなかったと後悔しています。

私と母の仲が悪いことを、祖母はすごく悩んでいた

父は仕事人間。母は病弱。その中に生まれた私は、気付けば両親よりも祖母と一緒にいる時間がとても多かった。
自転車で10分ほどの距離、隣町に住んでいた「ばあちゃん」。
私はほぼ毎日ばあちゃんの家に行くか、学校から帰ってくるとばあちゃんがいるかの2択で、会わない日がほとんど無く、その中で育った私はいつしか、父よりも母よりも、ばあちゃんが世界で一番大好きな人になっていた。

優しく、ほとんど怒らないばあちゃんの口癖は、
「ママと仲良くしてあげてね。」「あなたが大人になってあげてね。」
この2つだった。

私と母は、私の自我が芽生えたあたりからずっと、とても仲が悪かった。母に殺されかけたこともあるし、私が母を殺そうとしたこともあるらしい。
その一部始終を知ってるばあちゃんは、私と母の仲が悪いことをすごく悩んでいたそうだ。
ばあちゃんと会ってる時間は色々な話をしたが、半分くらいが母との関係の改善を求める話だった。
そんなばあちゃんの思いに私は全く気づけず、「それだけは無理だな~」と、笑って受け流していた。

母と私は、2人で声を出して思いっきり泣いた

その後もばあちゃんの前で母と仲のいい姿を見せることはなく、思春期を迎えて、母と私の関係は最悪だった。

ばあちゃんは持病が悪化し、入退院を繰り返していたが、母と交代で毎日お見舞いに行っていた。入院してからもばあちゃんはずっと、「ママと仲良くしてあげてね。」と言っていた。入院でいっぱいいっぱいだったばあちゃんに心配をかけたくなくて、「仲良くしなきゃね~」と私は受け流していた。思えば、これが最後のチャンスだった思う。

ある夏の友引の日、ばあちゃんは入院先の病院で亡くなった。
私はばあちゃんに、最後まで母と仲良い姿を見せることができなかったのだ。

お通夜、お葬式……。私は気付けばずっと母と一緒にいた。母とずっとばあちゃんの話をした。親戚の目もあるし、母も私もあまり泣いていなかった。
でも、火葬場でばあちゃんが入っている扉の前で立ち尽くしていた母と私は、2人で声を出して思いっきり泣いた。

ばあちゃんに教えてもらったこと、絶対忘れないよ

それからというもの、私の一番の味方は母で、母の一番の味方は私だ。今まで仲の悪かった母と、色々な話をするようになり、喧嘩をすることが無くなった。
母と私に足りなかったのは、向き合うための会話だったように思う。

ばあちゃん、ごめんなさい。何度謝っても謝り足らない気がします。
あなたが生きていた間に、母を大事に出来なくて。
あなたのことも大事に出来てなかったと思います。酷いことをしてきたんだと、今でも後悔しています。本当にごめんなさい。
でも、だから。
これからは、ばあちゃんが私にしてくれたように、母を1番に大切にするよ。味方になるよ。ばあちゃんに教えてもらったこと、絶対忘れないよ。
ごめんなさいと、言葉じゃ足りないけど、ありがとう。昔も、今も、これからも。
ずーっと世界で一番大好きだよ。

あなたのことが大好きな孫より