新卒で入社した会社を3カ月で辞めた。
同時に母がいなくなった。

幼いころから、世界中のあらゆる分野で活躍しているスポーツ選手やアーティストなど、いわゆる成功者と言われている大人たちがインタビューで答えている苦労話を聞きながら、何事も継続するとどうやら人から褒めてもらえるらしい、ということに気付いていた。

当時とにかく母に褒められたかった私は、これだ、と思い立ち、そこからひたすら継続にこだわった。
例えそれが好きじゃなくても、苦しくても辛くても、続ければ良いことがある、人に褒めてもらえると信じてやまない、呪いに取り憑かれた、継続お化けになった。

中学生からはじめた楽器は、自己紹介の特技の欄に埋められるものをひとつ作りたかったという理由で、プロを目指していたわけでもないのに、たかが学生ライブのために遊びもほどほどに毎日涙を流しながら何時間も練習し、結局10年続けた。

大人が言うから取り組んだ読書、好意がなくなっても続けた恋愛

今となっては酸素より必要不可欠な(それはちょっといいすぎだけど)読書も、自分から好きになったわけじゃなかった。
大人が「本を読め」とうるさいから(今思ったら大人だってそんな読んでないのに)、ゲームをやってるより褒められるからという理由で読んでいただけだった。(大人になった今でも、私は誰かに「本を読め」なんて言う未来が見えないけど、何を根拠に大人は子どもに口をそろえて「本を読め」なんて言うんだろう?)

たかが学生の恋愛だって、大人になれば最終的には結婚するんだし、続く方がいいに決まってると分かってたから、自分がいくら傷付こうが相手にもはや好意がなくなってしまっていても、別れることはなかった。
八方美人の“良い子”だって、みんながそう言ってくれたから続けていた。

「継続お化け」はめでたく成仏。それでも続いていくと思っていた

就職活動中、このようなエピソードを面接官に話すと十中八九、君は責任感が強いんだねと言われ、そこではじめて継続は簡単にできることではないらしく、強みであることを知った。
彼らのおかげで継続お化けはめでたく成仏。お疲れ様でした。

そんなこんなで、社会人になってもそういう毎日を続けていくのだろうなと思っていた。
大学を卒業して、ひとつの会社で働き続けて、崩壊済みの家族関係について誰も言及することなく目を瞑り今まで通りの現状維持が続いて、学生からの恋人と結婚して…そんな未来を想像していた。

浅はかだった。
大学を卒業して普通の社会人になるつもりが、気付いたら一瞬でフリーターになっていた。
さらに、ひとつ辞めてしまったら、もはやなにも続かなくなり、そこでやっと今までもやもやしていた気持ちに辞めたいという感情の名前が付いた。

難しいことらしい継続という行為をたまたま卒なくこなしてしまっていたせいで、芯が強く意志をしっかりと持っていると自分ですら錯覚をしてしまっていたが、本当は逆で、なにもなかったのだ。

会えなくなった母の手に届く本を作る。そんな未来に期待して

しかし継続お化けから解放されたと同時に、夢を追うという険しい道のスタートを切ることができた。
たった一回、珍しくその日機嫌が良かった母に「将来は本を作ってそうだね」と言われてから、いまだにずっと私は母に褒められたくて本を作るために働いている、ということだけは事実なのだ。

もう会えなくなってしまった母が、たまたま書店で手に取った本がもし私が手がけた本だったら、そんな未来を期待しているのだ。
それと同時に母に言われた「生まれてこなけばよかった」という言葉に対して、世の中に生きた証を残すという形での復讐でもあるのかもしれないが。

とにかく私は一生母と分かり合うことはできないが、理解をして、母のためではなく自分のために生きられるよう、まずは絶対にこの夢を叶えなければならないのだ。

やれやれ、どうやら仕事を通じた心の治療は長期戦になりそうだ。