私は今、27歳だ。民間企業の法務部門で働いている。
法務の仕事は、文章を読んで理解し自分の言葉で記述するという私の得意なことが生かせるので楽しい。人間、働かなければ生きていけないのだから働く。しかし、働かなければいけないからこそ自分の好きなことや得意なことを仕事にしたい。
就活当時、働く理由についてそのように考えていた私にとって、法務の仕事に携わることは、実現したい夢の一つだった。

しかし、私は長らく自分の得意なことに気付かなかった。父親に対する反発心が原因だ。
といっても、昔から父親との仲が険悪だったわけではない。父親は、私が欲しがる本をなんでも与えてくれた。また、私に物語を作る楽しさを教えてくれた。
幼稚園に通っていた頃、コピー用紙を絵本のような冊子の形にし、決められたページ数の中で起承転結をつけて物語を書くという遊びを父親としたことがある。これは私にとって、自分の脳内の考えを初めて言葉で表現した経験だ。

父と10体のぬいぐるみとで私の書いた台本を演じた幼稚園時代

また、同じく幼稚園に通っていた頃の出来事だが、演劇の台本を書き、ぬいぐるみと父親を動員し家庭内で披露するという遊びもした。通っていた幼稚園では、年に1回演劇の発表会があったのだが、童話をベースに台本をまとめていた担任の先生に憧れ、私も台本を書いたのだ。私の家族は、父親、母親、私の3人家族なので、書いた台本を演じてくれる家族は父親か母親のみである。家事で忙しい母親は参加できないため、父親に10体くらいのぬいぐるみを台本どおりに動かし、声色を変えてセリフを言うよう頼んだ。随分無理なお願いをしたものである。
こうした遊びの積み重ねで、私は本を読むことや、物語を作ることが好きになった。

小学校時代の出来事で、特に記憶に残っているものがある。小学2年生の時、学校の宿題として毎日日記を書くことが課されていたのだが、そんなに毎日は日記に書くことが見つからなかったため、私は代わりにオリジナルの長編物語を書いたのだ。

普通だったら、自分の子どもがまともに宿題をやっていないとみて怒る親は多いだろうが、父親も母親も静かに見守ってくれた。
日記への連載は半年ほど続いた。担任の先生や友達からは好評で、物語を気に入ってくれた友達が、私が描いた登場キャラクターの挿絵を真似て絵を描いてくれたり、毛糸で人形を作ってくれたりした。今でいうファンアートである。自分の作品を人に喜んで読んでもらえたことが嬉しかった。

過保護な父への反発。父と同じ法学部には進学したくない

父親との関係がうまくいかなくなったのは高校生の頃である。父親と同じ進学校に入学した私を見て、父親は過度に期待をし、そして過保護な態度をとるようになったのだ。自分とは異なり、娘には受験勉強に苦労せずスムーズに大学に進学してもらいたかったからである。

高校生の頃、私は国語が得意だった。しかし、何かと過保護にしてくる父親に反発心を抱き、文系学部、中でも父親の出身学部である法学部への進学は選択肢から外していた。
父親は、事あるごとに娘が苦労しないであろう進路を提案してきたのだが、それに嫌気が差したのだ。

しかし、反発心やプライドから勉強しているのだから、今一つ勉強に集中できない。1日10時間以上の勉強の中で、実はこっそり息抜きと称して、電子辞書に格納されている日本文学・海外文学を読み漁った。おかげで第一志望の大学には落ちた。

たまたまセンター試験の結果のみで合否を判定してくれる大学に出願しており、法学部に合格していたため、私は法学部への入学を決めた。
結局、父親と同じ道を歩んでいる自分に嫌な気持ちは抱いたものの、親元を離れ、学部の授業を受け、試験をこなす中で、私は文章を読んで理解し自分の言葉で記述することが得意なのだと気付いていった。

法律を理解し論じることが苦ではない。その力を社会にどう活かせるか

法学部の試験は、論述形式の試験が多い。90分間、A4用紙1~2枚程度の分量で法律を根拠に筋道を立てて論述をしなければならない。そのためには、教科書となる書籍を最初から最後まで一通り理解し、自分の言葉で論述できるようになる必要がある。そう簡単にこなせる試験ではないのだが、私は、法律を理解し論じることが苦ではなかったのだ。幼い頃から本を読んだり物語を作ったりしたことで、文章力が鍛えられたのだろう。

父親への反発心を解消して自分の得意なことに気付き、今の仕事につなげていることは、確かに嬉しいことではある。
しかし、働くということは社会とかかわることなのに、あまりに自分を中心にして考えてはいないか。大学卒業後、働き始めて4年が経つ中で、次第にそう思うようになった。

働くことは、社会になんらかの価値を提供することだと27歳の私は考えている。
得意なことを仕事にすることはできたが、果たして自分の能力を極限まで使って社会貢献できているだろうか。私は、もっと世のため人のため、働くことができるのではないか。

過去と折り合いをつけることができた私は、自分の能力を社会にどのように活かせるか、今後はその方法を探ろうと思う。