元彼とは私が21歳、彼が19歳のときに付き合い始めた。

寡黙で不器用だけど優しくて芯があり、どこか捨て犬のようなほっとけない雰囲気が私を惹きつけた。

彼は本気だったけど、私は遊びのつもりで体の関係を持ってしまった

出会いは、東北地方の小さな港町。夜明け前から魚を競り合う男たちの威勢の良い声で賑わう。

彼の故郷でもあるこの町は、2011年の東日本大震災で被災した。彼も被災者で、彼と父親だけを残し、彼を産んだ母親も一緒に育った姉弟も、飼っていた犬もすべてを波にさらわれた。

当時、ボランティアで東京から来ていた私がその事実を知ったのは、彼と出会って2回目の夜に初めて体の関係を持ち、告白されてから数日後のこと。

この事実を知ったのは、彼が取材をされた記事からだった。とにかくびっくりして、信じたくなくて、何度も読み返した。そして、この町の避難者名簿に、彼と彼のお父さんと思われる人の名前だけが残っている記録を見つけたときに「本当のことなんだ」と、やっと受け入れた。

彼にとって、私は初めての女だった。彼からの“本気”は伝わったけど、私は“遊び”のつもりだった。「やっちまったなぁ」と天を見上げて思った。「やっちまった」の中身は、「彼と軽い気持ちで関係を持ってしまった。悲しい過去を背負っている彼をこれ以上傷つけられないよ」という感じである。それと同時に、彼が時折見せる、遠くを眺めるような眼差しを思い出した。

悩んだ末に「やっちまった」の気持ち半分で、彼と付き合い始めた。しかし、その選択は5年の遠距離恋愛の後に同棲を始めて、半年もせずに別れるという結末を導く。

彼を傷つけたくなかったし、私も傷つきたくなかった

遠距離恋愛中は「仕事終わった」など中身の薄い会話をLINEで続け、月に一度会いに行ったときはごはんを食べてセックスをして帰る。

何に関心があるのか、将来どんなことをしたいのか、何に喜んで、何に悲しむのか、互いの口下手も手伝ってそんなことを話すこともなく、何となく5年間が過ぎた。本当に何となく。

それは「話さなくても居心地がいい」という安心感だけではなく「本音をぶつけたら性格の不一致がわかって別れたくなるだろう」という予感でもあった。

彼を振りたくなかった。彼を傷つけたくなかった。私も傷つきたくなかった。だから、自分の変化を待った。理性に言い聞かせた。

「これだけ長い間一緒にいても嫌にならない人はいないよね」「大切なものを多く失った人だから、きっと私のことを大切にしてくれるだろう」「ボランティアで尋ねた私と彼がこのまま結ばれたらドラマチックだな」なんてことも……。今思うと、被災した若い彼を振るひどい女になりたくなくて必死だった。

そう心の中で考えている傍らで、彼はいつも「大好きだよ」と言葉にして伝え続けてくれていた。友人が病気で亡くなった時は、6時間の道のりを運転して駆けつけてくれた。

だけど、最初の「やっちまった」の気持ちから変化は起きず、月日が経つにつれてそれが重みとなり苦しくなった。やがて、同棲を始めるとすぐに限界がきて、別れを告げた。元々、彼と作る未来なんて想像できてなかった。

彼が「言いたいことは絶対に伝えた方がいい」と言っていたな…

本気で「付き合おう」と言ってくれた相手に対し、“相手を傷つけないように”交際を始めることが自己満足でしかなく、人を軽視しており、何よりも相手を傷つけることをわかっていなかった。

いい大人が自分の意見さえ堂々と言えず、彼と分かり合おうとする努力もせず、片手で言葉を打って相手の大事な時間を適当に流して。まるで、腫れ物に触るかのように扱われることが、どんなに悔しく寂しいことなのかが今ならわかる。本当にごめんなさい。

優しさって何だろう。“彼を傷つけたくない”気持ちは、自分の優しさだと思っていたし、愛情だと思っていた。そして、彼と年月を過ごし別れて、どうしてこんな風になってしまったんだろうと考え続けていた。

確かにそこに情や慰めといったある種の優しさはあったけど、それだけじゃないよなって。「誰かを傷つけたくない」という私の気持ちは、言い換えると「自分が傷つきたくない」であった。その覚悟が持てなかったから彼と向き合えなかった。

恋人でも友達でも家族でも、誰かと共に生きていくということは、ときに人を傷つける覚悟をすることで、また、自分が傷つく決意を持てることなのかもしれない。そしてやっと、本当の優しさを持てるんじゃないか。

付き合っているときに、珍しく彼が声に力を込めて「相手が生きているなら言いたいことは絶対に伝えた方がいい」と言ったことがある。人に自分の気持ちを伝えるのは怖い。そんな私に彼は「相手が死んだら言葉一つも届かない」という意味を込めて伝えてくれたのだと思っていた。

でも今は、彼の言葉に少し付け足して「例え相手が傷つき自分が傷ついたとしても、伝えた方がいい。なぜなら、たくさん苦しんで傷ついた分だけ人に優しくできるから」そんな意味も込められていたのだろうと、別れて3年目の日に思った。