昨年の6月、彼氏に振られた時の私、ごめんなさい。

彼とは大学2年生の時にお付き合いを始めた。小学校6年間同じクラスだった彼は、私の記憶では、いわゆる初恋の人である。
当時なぜ好きだったのかは定かではないが、「なんとなく」大好きだったのである。女子の間で流行った、プロフィール帳の好きな人の欄には、決まって「k君」と書いていた。

中学、高校、大学、と違う道を選んだ私たちは、小学校の卒業後、約8年ぶりに地元のショッピングモールで再会した。
8年経っても懐かしいとすら感じさせない、そのままの雰囲気にすぐに記憶が蘇った。思い出話に花を咲かせると、彼も私を好きでいてくれたと知った。

天にも昇る心地、という言葉を実感した。
お付き合いを始めて、幸せを噛みしめる毎日。
1年半という期間は、こんなに順調でいいのかというほどに、滑らかに流れた。

突然のラインが告げた「別れようか」。生まれて初めて自分を嫌いに

就職活動やコロナ禍で、一緒に出かける機会が減っていた中のことだった。
前々から予定を立てて行動するのが好きな私と違い、割と行き当たりばったりを楽しむタイプの彼が、「コロナが落ち着いたらハワイに行こう」と提案した。意外な提案に驚きつつ、ダイヤモンドヘッドで日の出を見ようね、と約束した。

1週間後、アルバイトを終えて着替えていると、iPhoneのロック画面にラインの通知が数件溜まっていた。彼の名前と「別れようか」の文字が見えた。

私は頭が真っ白になった。こんなにも意図せず涙が流れるものかと思った。もしかしたら、「なんてね」という続きがあるのではないかと全身全霊で祈った。
冷静になるなんて不可能ではあったが、なんとか家に帰りラインを開くと、涙に滲みながらも、その冷たい5文字がはっきりと見えた。

理由は「好きかわからなくなったから」だそうだ。
デートの終わりにはいつも「またね」で終わる彼のラインは、「さようなら」で終わっていた。

生まれて初めて、自分のことを嫌いだと思った。
私の何が駄目なの、何で私じゃ駄目なの、それしか考えられない自分に気づくと、もっと嫌いだと思った。

もっと可愛ければ。もっと努力していれば。暗闇にいるような毎日


「恋愛は相性だから一方が悪いわけではない」という数あるコラムを見ても、私が何か悪かったから彼は私を好きかわからなくなるのだ、と反発心を抱いた。

親友は私の話を聞いて「なんて身勝手な彼だ。あなたは悪くない。」と同情してくれた。
それでもやはり、自己嫌悪は拭えなかった。

私が彼の好きな女優さんくらい可愛ければ、ずっと好きでいてくれたかもしれない。
私がもっと努力していれば、彼に認めてもらえたかもしれないのに。
こんな考えても仕方のないことを暇さえあれば考え続けていた。

別れてから半年間、足元に何があるかもわからない暗闇にいるようだった。
暇を作らないために必死でアルバイトや大学の予定を入れた。何とか忘れようと必死だった。一方、その他の時はたとえ考えてしまっても、コロナ禍で人と会えないことが吉と出たというべきか、いつ泣いても誰にも迷惑をかけずに済んだ。

強くなろう、強くなりたいと思えるようになってきて

ひとしきり泣いて、以前から好きだった松田聖子の曲をリピートで聞くうちに、心が落ち着いていくのを感じた。時の流れは素晴らしいと感心すると同時に、なんだか腑抜けた気分になった。

一番自分を傷つけていたのは自分自身だと気づいた。
自分を否定し続けた半年間で良かったことなんて一つもなかった。
曲がりなりにも14年間好きでいた人である。彼を否定することはそう簡単にはできなかった。そのため非難のベクトルは自分に向いてしまったのであろう。

しかし、この理論はきっと正解ではなかった。いつか読んだコラムにもあったように。
彼の存在が私の中で徐々に薄らいでいく中で、強くなろう、強くなりたいと、そうも思った。
この気持ちを記録しなければいけないと、突っ走る気持ちを抑えて、今、執筆している。

あの時の私。苦しいときに突き放して、守ってあげられなくてごめんなさい。
未来の私が苦しんでいるときは、真っ先に味方になるとここに誓いたい。