私の職業はジュエリーアドバイザーである。新型コロナウイルスが日本でも猛威を振るい始めた二〇二〇年の春に新卒として入社し、地元の商業施設に入っている店舗に配属され販売員として働いている。
「あなたのおかげで素敵な時間を過ごせたわ」。お客様からの言葉に、胸が震えた
この職業を選んだ理由は、人の心を満たす仕事がしたいと思ったからだ。
私は大学四年間ずっと、地元の割烹料理店でホールのアルバイトをしていた。誕生日や顔合わせなどのお祝い、仲間との食事会など、「特別な時間」を過ごすために来てくださるお客様が多いお店だった。
大学二年生の夏頃、バイトを始めて二年目となった私は少し気難しい常連のお客様の席を担当することになった。八〇代だというのに背筋はしっかりと伸びていて、いつも高そうなジャケットとタイトスカートにヒールというスタイル。料理はもちろん身だしなみやマナーにも厳しい方だった。その日は仕事をしていた時の知人を招いた会食という名目で予約されていた。
正直緊張でどうにかなってしまいそうだったが、いつも通りお皿やグラスを置く位置、次のドリンクをお伺いするタイミングだったり、お客様のお話の邪魔にならないように料理の説明をしたりと、一年四ヶ月のアルバイト経験で得た力の全てを注いだ。無事に会食は終わりお客様をお見送りする時、そのお客様は私にこう言った。
「今日はありがとう。あなたのおかげで素敵な時間を過ごせたわ。」
「ありがとう」なら帰り際に声を掛けてくれるお客様は多かったが、「素敵な時間を過ごせた」と言われたのは初めてだった。
胸が震えた。素直に嬉しかった。お客様が素敵な時間を過ごせた事も、自分がお客様の「素敵な時間」に貢献できた事も。接客の楽しさを教えてもらった瞬間だった。この経験がきっかけとなり、接客業という仕事を通してお客様に心が満たされる素敵な時間を提供したいと思うようになった。
大学二年生の秋。心が満たされる時間を提供できるジュエリー販売員になろうと決めた
そして私が生まれて初めて自分でジュエリーを買ったのは、その経験から数ヶ月後の大学二年生の秋。一年半付き合った彼氏と別れたばかりで、その彼に買ってもらった指輪を捨て、これから独り身になる自分の相棒となるような物を買おうかと計画していた。そこで選んだ物がピンキーリングである。
動機は単純で、私の大好きなアイドルが当時、ライブや雑誌でよく右手の小指にピンキーリングを着けていたからである。ヲタクの思考回路は驚くほど単純だ。秋晴れの空が清々しい大学の授業が何もない全休の日、私は地元の商業施設にあるジュエリーショップを片っ端から回った。
どのお店でも販売員のお姉さんに声を掛けられ、何点か紹介してもらったがどれもしっくりこない。もう今日は諦めようかと思いながら最後のお店に入った所、二十代後半程であろう小柄で控えめな印象の店員さんが、指のサイズを測ってくれたり、私がピンキーリングを探している理由や予算、好きなデザインなど細かい所まで話を聞いてくれたりした。その日行ったどのお店の方よりも、丁寧に自分に寄り添ってくれた方だった。
気に入った物はゴールドでレースのような透かしのデザインの物だった。予算を五千円程オーバーしていたが、デザインも一番気に入ったし、何より楽しい時間を過ごさせてくれたこの人から買いたい!と思い、購入を決意した。
この経験で、接客で心が満たされると買った物がより特別な物になる事を学んだ。
そしてジュエリーを通してお客様に素敵な、心が満たされる時間を提供できる販売員になろうと決めた。ちなみにそのピンキーリングは、今でも私の相棒として右手の小指で輝いている。
理想には程遠いけれど、私はジュエリーアドバイザーとして素敵な時間を提供したい
そんな憧れの気持ちを抱いて入社したが、理想には程遠い。新型コロナウイルスの影響で発令された緊急事態宣言で商業施設が休業となり、接客業という仕事にも関わらず接客できない日々が続いたし、自分の知識と経験の少なさに悲しくなってしまう事もある。
しかしこのような時代に入社したからこそ、改めてお店に足を運んで下さるお客様への感謝を感じることができたし、こんな一年目の私でも「お姉さんのお陰で良い物が選べました」「あなたが一生懸命接客してくれたからどちらも買うわ」とお客様からのお言葉を頂くことができた。そんな言葉を頂き、お客様が笑顔で帰っていく様子を見送る時、胸が嬉しさでいっぱいになる。私はこの瞬間のために働いているのだと感じる。
コロナウイルスの影響で暗い気持ちになってしまうこともある世の中だが、これから一人のジュエリーアドバイザーとして、一人でも多くのお客様の心を満たして素敵な時間を提供していきたい。