何もしたくない日がある。朝起きてベッドから出ることも、ご飯を食べることも、家から出ることすら億劫に感じてしまう日が突然やってくる。

それは平日で仕事だろうが、休日だろうが関係なくやってくる。

学生時代だったら学校やバイトを休んで、心のリフレッシュを兼ねてサボることもしばしあった。

突然ネガティブになり、自分の中でフリーズしてしまうことがある

でも、今は社会人。大前提として学生時代にサボっていたことを大々的に肯定する訳ではないけど、今はやっぱり責任もあるし、周りの目がとても気になる。

でも、ただ我慢すれば良いという訳にもいかなくて、突然ネガティブモードに突入して、今までコツコツ前向きに頑張ってきたダイエットや、自分磨きの努力の日々ですら自分の中でフリーズしてしまう。

やる気が一瞬の内に消えて、何も考えたくなくなるのだ。まるで、めちゃくちゃ時間をかけて一生懸命考えた文章を入力していたら、上書き保存をされないまま電源の落ちてしまったパソコンの様に。

そんな現象が起きるのには、理由が分からないといいながら、実は些細なことが原因だったりする。ダイエットを頑張っていたのに食べ過ぎて少しだけ体重が増えてしまったり、肌の調子が良くなかったり、髪型が決まらなかったりなど…。

人によっては「その程度で?」と思う方もいるだろう。でも、あくまで自分基準の私にしか見えていないものさしで、今の自分の人生を過ごしているとそんな些細なことがきっかけで全てが嫌になることがあるのだ。

成長は過去の自分とは違って、少しでも「前向き」になることなのかも

実は、今朝がそんな気持ちになった日だった。朝起きるなり、一瞬の内に仕事をサボることを考えた。きっと1年前の私なら平気で休んでいただろう。でも、今日は少しだけ見方を変えてみようとも思った。

どんなにメイクノリが悪くても、髪型が決まらなくても、体重が少し増えていようとも、周りの人は気にすらしていないし、そんな日もたまにはあるんだからとりあえず仕事には行ってみようと。全く乗り気ではなかったけど、今日はとりあえずグレードをめちゃくちゃ下げまくって、必要最低限のことだけやって過ごそうと思った。意外とそうやって過ごしてみると、すごく気が楽になった。

過去の自分とは違う、1mmだけでも前向きに生きれているのなら、これが成長なのか。見方によってはめちゃくちゃレベルの低いことかもしれないが、人それぞれ考え方や感じ方が違うように、時として出会う出来事が日常的な事でも、そうでなくても対応不可になる場面が少なからず出てくる。そう考えると、これまで色んなことをよく乗り越えてこれたなとも感心するくらいだ。

些細なことがきっかけとはいえ、その背景に自分の不安や焦り、自信のなさがあるのは実は私自身がよく分かっている。きっと、他の人はこんなこと考えないだろうなと思うことも、私はうだうだ考えて落ち込んでしまうことが沢山ある。めんどくさいほどに。でも、もうそれはそれで良いのだ。それが私であり、私の生き方なのだから。

だから、本当に耐えれない時は、休んだって良いと私は思う。それは逃げることとは違う。一旦、リセットするためには必要なことなのだ。色んな考えの人がいるから、良く思わない人もいるだろうし、理解してくれない人もいるだろう。でも、それはそれで良い。周りは周り、自分は自分。自分の人生は、周りの人が作るわけではないのだから。常識の範囲内だったら、たまには自分を優先させることも必要だと、社会人になってからは特に感じている。

完璧じゃなくて良い。それが「私」で、チャームポイントだから

自分の胸の中に秘めている、誰かに打ち明けることができない様な不安な気持ちや焦り、コンプレックスなどはきっと、周りの幸せそうに見えるあの人も悩みのなさそうなあの人にも必ずあるのだ。

自分が過剰に考え過ぎてしまうことで自信を持てずにいたとしても、少しだけ見方を変えればプラスに考えられるようになるかもしれない。はたまた、無理なものは無理のままかもしれない。でも、完璧じゃなくて良いと思う。それが私であり、私のチャームポイントだから。

「今日は頑張ってみよう」と思えたのは、この気持ちを書き出すことで、整理するきっかけにするためだったのだろうか。思いを伝えることや吐き出すことが苦手な私にとって、すごく安心できる場所なのかもしれない。

バリバリに頑張れる日も、ぐーたらになってしまう日もあるけど、私らしさだけはどの瞬間も忘れずに過ごしていこうと思う。