私は男性アイドルのオタクだ。中学のころから、その相手は少し変化したけれど、アイドルに熱中し、テレビをチェックし、コンサートや舞台に足を運び、グッズを買い、写真を買い、雑誌を集めてきた。
 大学生になると、アルバイトによって自分で使えるお金が増え、つまり、推しに貢げる上限額も大きくなる。それは私の周りにいるオタク(つまり友人)も例外ではないのだが、そうなってくると、かえって「貢げない自分」に劣等感を抱くようになってしまうのだ。
 好きだから推している、好きだからオタクをやっている。幸せじゃないか。
 それはそうなのだけれど、かといってオタクにも気苦労はあるのだということを発信していこうと思う。

出費が少ない茶の間タイプと貢ぐタイプ、どちらの気持ちもわかる

 「茶の間」という言葉を知っているだろうか。要するに、茶の間で、つまりテレビの前なんかでアイドルを見て楽しんでいる人のことだ。コンサートに出向かないから、アイドルにかけているお金はあまり多くない、場合によってはゼロだということになる。
 この言葉は、否定的なニュアンスを持つことがある。アイドルを推すことにたくさんお金をかけている人からすると、彼の活躍を支えているのはお金を出している自分たちだという意識があるのだと思う。
 と紹介してみたものの、私はどちらのタイプのオタクも否定はしない。どちらの気持ちもわからなくはない。こういう意識の差があるのだということを説明したにすぎない。
 私にとっての問題なのは、自分はそれなりに推しへの出費があるにもかかわらず、周囲のお金のかけ方がすさまじくて、自分自身が劣等感を抱いてしまうということにある。

推しへのお金のかけ方には一定の基準があり、それなりの出費

 「それなりの出費」の内訳を紹介しよう。出たグッズはとりあえず2つずつ、推し個人の写真は場合によるけれど5枚ずつほど、出演DVDの購入、コンサート・舞台に行けるだけ行く。これが主な出費である。
 私のお金のかけ方には、ポリシーというほどたいそうなものではないけれど、一定の基準がある。
①掲載雑誌は毎月何冊も発行され、場所をとるので買わない。
②推し個人や所属ユニットの実績になるものは買う。売り上げが誰の人気によるものなのか判然としないものは、よほど惹かれない限り買わないし、少なくとも同じものを何個も買うことはない。
③生で会える機会にはお金を払う。

私以上にお金をかけているオタクを見ると、ちょとした劣等感を感じる

 どうだろうか。客観的に見ても、なかなかお金をかけているのではないかと思う。
 しかし、世の中にはとんでもなくお金を使っているオタクがいて、私の友人もその一人だ。推しの写真を売切れさせるために、同じ写真を何百枚と買う彼女のようには、私は一生なれないだろう。私ももっと写真を買いたいけど、でもこれ以上出すのもなあ、と思ってしまう自分にはつい、ちょっとした劣等感みたいなものを抱いてしまう。

 それにしても、それほどまでにお金を使えるオタクのみなさんは本当にすごいと思う。地下アイドルか、大手かなど場合にはよるけれど、写真を何百枚も買う彼女の推しは大手事務所のアイドルだ。だから、何百枚買ったからといって、握手ができるわけでも、一緒に写真が撮れるわけでも、相手に覚えてもらえるわけでもない。財力もさることながら、一体そのエネルギーはどこからくるのか、と思わずにはいられない。と同時に、「自分は推しからもらったエネルギーの一部しか返せていないのでは」という思いにも駆られてしまう……。

 オタクをするのも楽じゃない。