私は中学生の時に、学校の先生に恋をしていた。その先生は、私の英語の先生であり、生徒会顧問の先生であった。
恋に落ちたきっかけなどなかったと思う。明るい性格ではないけれど、授業中にユーモアのある一言を添える姿が私にはツボだった。授業終わりに、私がする授業に関する質問にはいつも丁寧に返答してくれていた。2年生になると私は生徒会役員になった。生徒会会議でも、話に入りにくそうな1年生に話を振ってあげたり、どの意見も肯定しつつも考慮しなければいけない問題を教えてくれたりした。そんなささやかな「善い人だな」の積み重ねで、私は2年生の初夏には先生のことを気になる存在ではなく、好きな人として見ていた。
私は先生への恋心に気づくと、先生から「認めてほしい」という欲求を持つようになった。相手は教師であるから好きになってもらうのは難しいだろうというあきらめとともに、先生の認識の中で一番優れた生徒、つまり一番褒めたくなる生徒になりたいと思ったからだ。
やや完璧主義のきらいがある私は夏休み中、毎日のように練習していた
幸いにも小学生のときから英会話教室に通っていたので、中学英語は満点を狙えるほどに得意であった。生徒会の仕事も、小学校の通信簿に「責任感が強い」と書かれるほどの自分であれば活躍できると思っていた。
そして夏休みが来る。夏休みの課題として、英語の教科書の1チャプターを暗記してくるというものがあった。その文章は、どうやら日本の落語を英訳したものらしく、ただ覚えるだけではなくちょっとした演技のようなものも織り交ぜた方が自然であるように見えた。私はここで先生へ良いところを見せようと思った。夏休み中は英語の教科書にへばりつき、暗記だけではなく目線や語勢の練習も行った。やや完璧主義のきらいがある私は夏休み中、毎日のように練習していた。
夏休み中にあれだけ練習したのに結果は、上手くいかなかった
夏休みが明け、体育祭の準備が始まった。生徒会では、グラウンドに出て開会式のセレモニーの打ち合わせを始めていた。体育の先生方とも話し合いをして段取りなどを決めている最中に、生徒会の仕事っぽさを感じて嬉しくなっていた。体育祭の準備には、各クラスの体育委員やグラウンド使用部活に所属している生徒の手助けも多く借りた。その場で私は先輩らしく、そして生徒会役員らしく、役員以外の生徒への気遣いを忘れないように心掛けていた。私の好きな先生が1年生にするように、私も役員以外の生徒に対して話しかけようと思ったのだ。
そんなとき、事件は起こった。私は夏休み中に怠っていなかった英語の暗唱練習を夏休みが明けてからは行っていなかった。体育祭の練習の授業も始まり、英語の暗唱が行われたのは夏休みが明けてから1週間以上も経った頃だったので、私は暗唱した文章を忘れかけていた。私の番になり、私は先生のいる別室へ向かった。私は夏休み中にあれだけ練習したから大丈夫という気持ちとともに、あれだけ練習したのに上手くいかなかったら先生はどう思うだろうかとプレッシャーも感じていた。結果は、上手くいかなかった。うろ覚えの箇所があるにも関わらず、目線などを気にしたためリズムがうまくいかず、途中からはグダグダになってしまった。
しかも事件はこれだけでは終わらない。その日の放課後も、体育祭の準備をグラウンドで行うことになっていた。私はその前に、部活動に少しだけ顔をだそうと思っていた。少し顔を出して、最近何をしているのか聞いて、休日の部活の予定を聞く。それだけの予定が5分だけ部活動に参加していけよという話になり、もう少し部室にいることになった。ただもう少しというのは難しい。5分で部室を去っていれば準備には間に合っただろうに、私は10分弱部室にいて、準備に遅刻してしまったのだ。悔しかった。大遅刻をしたわけではないが、これまでちゃんとしよう、よき役員でいようと思っていた私にとっては堪える出来事だった。
日ごろなら言わない愚痴を言った 私の完璧主義の性分が出ていた
それでも、これ以上マイナスを作るわけにはいかない。そんな思いで、準備に参加した。その日は体育館にパイプ椅子をグラウンドの隅まで運ぶ作業をすることになっていた。パイプイズを運び始めて20分くらいしたとき、先生が話しかけてきた。
「今日は元気がないですね。英語の暗唱をそんなにひきずっているんですか?」
話しかけてくれた喜びとバツの悪い気持ちとで気持ちがぐちゃぐちゃで、私は日ごろなら言わない愚痴を言った。本当だったらああやって英語を暗唱するつもりだった。本当だったらこういう役員になろうと思っていた。私の完璧主義の性分が出ていた。
そんなとき先生が落ち着いた口調でこう言った。
「全部思い通りになるわけないじゃないですか。」
ああ、確かにそうだ。大好きで信頼している先生から、とても冷静に言われた言葉は私の胸にすーっと入ってきた。そして、先生に隠れて私を涙目にさせた。
私はこの言葉のおかげで、完璧主義から脱出することができたのだ。