働くって大変だ。働くって難しい。だけど、生きてく上で働くことは必要不可欠だ。
私は私を肯定するために働いている。
働ける場所があることが、私がここで生きている一つの証明だと思うのだ。
鬱になり、退職。自分だけ何もない虚しさを感じた
高校卒業と同時に就職した私にとって、仕事が手にあることは当然のことだった。
学生生活からそのまま新人研修を経て、すぐに事務として仕事に励んだ。
その時は正直、特に何か働く理由があるわけではなかった。
働かなければ生きていけない、それだけ。
お金がないと生きられないのだから働かないわけにはいかない、そんな気持ちだった。
そんな私の気持ちに転機が訪れたのは、鬱で仕事を退職した時だ。
突然与えられた初めての長期休み。
高校卒業してすぐ就職した私にとって、初めて本当に何の予定もない時間。行かなければいけない場所も、やらなければいけないこともない時間は初めてだった。
最初こそ心にゆとりがなく何も考えられなかったけれど、回復していくにつれて現実が見えてくるようになってきた。
心配して声をかけてくれる友人たちは誰もが仕事をしている。
母や父や弟も、仕事に向かうために朝早く家を出る。
家に一人残された私に生まれたのは、言葉に出来ない寂しさともやもやとした不安感、まるで社会に取り残されてしまったような虚無感だった。
自分だけ何もない虚しさを初めて感じた。
あるべきものがないような、迷子になってしまったような、そんな気持ち。
宙ぶらりんでどこかに放り出されたような感覚。
その時から私は働きたいと強く思うようになった。
働きたい。早く元気になろう
二十歳になる前から働きだした私にとって、仕事があることは当然なスタンスで、あるべきものだったのだと思う。
仕事をすることで私は自分の居場所を確認し、仕事をすることで自分を認めていた部分があったのだと思った。
頼まれたことをこなすこと、完成した何かを受け取ってもらえること。
自分の名前が、立場が、立つべき場所が外の世界に存在することは、私を私にしてくれる要素の一つだったのだ。
そうして得た収入で欲しいものを買ったり、行きたい場所に行ったりすることが、私にとっての楽しみで生きがいで、一種の救いだった。
働きたいと思った。やりたいことはまだ沢山ある。行ってみたい場所もある。
だからこそ、働きたい。
だから早く元気になろう、こんなところで立ち止まっていてはいられないのだと。
そう思うようになった。
働ける自分はキラキラとしている
働くことが特別好きになったわけではない。
休日出勤は好きではないし、休みの前日はわくわくする。朝礼がある日は行きたくないし、忙しいとわかっている日は足が重い。
だけど、働くことはきっと嫌いではないのだ。
働いて褒められるのが好きだ。必要とされるのが好きだ。何より、働ける自分が好きだ。
働くことで前が向ける。新しい未来を思い描ける。やりたいことが浮かんでくる。
自分自身を肯定できる。
鬱になって自分を否定していた私に生まれた、働くことの理由がそれだった。
独り善がりかもしれないけれど、働ける自分は働けない自分よりもキラキラとしている。
働いていれば悩むことも増えるし、傷つくこともあるかもしれないけれど、それでもそれはそれだけ生きているからだと思う。
私にとって働く理由は未来を夢見るため。そしてそんな自分を肯定するため。
これからも私は働きたい。何かの為に、自分の為に。
総じて、それはきっと今を懸命に生きていることになるのだと思う。