生まれたときにはまっさらだったはずの私の心には、生きてきたたった20年ちょっとの間でも、ずいぶんトゲができてしまった。もしまっさらな、傷一つない心のままだったら、外の世界のものごとは、布が心を撫でるようにするりと通っていってくれるだろう。でもトゲがあると、自分の意思とは関係なしに、外からの情報がそのトゲにひっかかってしまう。
トゲとはなにか。いろいろあるけれど、コンプレックスやトラウマなんかはわかりやすいトゲだと思う。話題のニュースや、SNS上の誰かの投稿を見て、なんとも思わない人もいれば、傷ついたり、反感を覚えたりする人もいる。それはその人のトゲにひっかかったからだ。たとえば、自分の諦めた道の成功者のインタビュー記事にコンプレックスを刺激される、といった感じだ。
私を苦しめるトゲの正体、例えば…
さて、私にとってのトゲは何かというと、新しくてそのぶんだけ尖っているのは、部活に対するコンプレックスだ。
大学に入って、先輩に憧れて入ったラクロス部をやめたこと。自分で決めたことだし、「これでいいんだ」と思っていたはずなのに、それは鋭利なトゲと化してしまった。楽しそうにしている同期、引退で泣いている先輩の写真なんかをSNSで見かけると、自分がそこにいないことが無性に悲しくなる。自分がその輝きを失ったのだと痛感してしまう。彼女たちが笑顔の裏で、血のにじむような努力をし、涙を流し、時間や趣味を犠牲にしていることを知っていながらも、なお羨ましくなってしまう。
それから、中学の生徒会長選挙に敗れたこと。小学校は地元の公立学校だから、生徒会長になるのも難しくはなかった。けれど都内の私立中学に進学すると、できる人ぞろいで、まさに私は「井の中の蛙」だなと思った。選挙に立候補したものの敗れてしまい、それ以来、誰かと争うことになるなら、そのポストには立候補しない、という性格になってしまったし、ドラマに出てくる「完璧な生徒会長」を見るとちょっと嫉妬する。
トゲの対処の仕方。本から学んだ感情のコントロール術
日々の中で、相手に非がないのにもやっとしたり、ズキっとしたりするのは、生きてきた中で作ったトゲのせいだ。そしてトゲというのは、誰かの言葉がやすりをかけてくれることはあるけれど、完全に消えることなんてたぶん、ほとんどない。少なくとも私は、ふとしたことで嫌なことを思い出して、ああまだここにトゲがあった、と感じることばかりだ。
消えていくことのないトゲは、しかしその数を増やしていく。年を重ねるにつれ、広がった世界の中で、傷つく機会が増えていくのは、抗えない流れだ。
では、どうすればいいか。
考え方を変えるしかないのではないだろうか?
ひっかかったそのときに、「ああこんなトゲもあったのね」とどこか他人事のように考えて、痛みに鈍感になる。それが、生きるために必要な力だと思う。トゲは作らないようにしても勝手にできてしまうものだし、自分でやすりをかけようとしても、そのために自分のトゲと向き合うのはつらい上に、期待したほどの効果はきっと得られない。そこは他人の力に任せながら、自分でできることとして、考え方を変える。
と、口で言うのは簡単だ。実際には、どんなになんでもないふりをしても、ひっかかりをもろに感じてしまうことも多いだろう。
そこで私は、ある人の言葉を紹介したい。
ミッチ・アルボム著『モリー先生との火曜日』の中に掲載されている、モリー先生の言葉だ。彼は「自分を引き離す」ことが大事だと言った。どういうことなのか、彼の言葉をまとめると、「ある感情を十分に経験したあとは、そこから立ち去る」ということだ。私の場合なら、キラキラと輝くかつての部活仲間に対し、羨ましさを十分味わったあとは、「なるほど、これが羨ましいという感情か。よく分かったから、ここからは離れよう」と思えばいい、ということだ。
自分なりの解釈の上ではあるけれど、とにかく私はこれを実践している。正直、完全に立ち去ることができず同じ負の感情に直面するけれど、そのたび「なるほどね」と努めて冷静に眺めることで、ずいぶん楽になっている。
こうやって、増えていくトゲの痛みを感じにくくすることで、強くなった、と思える。