私を変えたひとこと。それは「心が疲れている人は失敗しないもの、安定して愛せるもの、愛しても誰にも批判されないものを選ぶ。」という、私がTwitterでフォローしている方がツイートしていたものです。

推しを素直に応援する日々。脚光をいきなり浴びることに

ひとことにしては長すぎるでしょうか。しかし私はこの言葉にとても救われたのです。
私は某男性アイドルグループを下積み時代から応援していました。彼らはそれなりに人気もあって、年齢層も高めだったこともあり経験値や実力もあったのですが、メジャーデビューするには何かが物足りない…そんなグループでした。私にとってはキラキラと輝いて見えて、一番魅力的なグループでしたが、それでもやはり「デビューは難しいだろう」という考えの方が強くありました。ファンの間でもそのように諦めに近い気持ちを持った人は少なくなかったと思います。
ただ幸い彼らはコンサートや舞台には数多く出演していたので、私はデビューできない現状に何の不満もなく、このままデビューしなくてもいいのではないかとさえ思っていました。
しかし昨年、状況が一変してしまった。グループのメンバーを大幅に増員。その数ヶ月後にはメジャーデビュー決定。デビューシングルはミリオンセールス突破。ファンの間では当然渦中の彼らに対して様々な意見が飛び交いました。

推しのグループの活動方向転換。そこで目にしたのは

「なんで」「どうして」「元々のメンバーではダメだったの」ーー。
私自身もデビューは喜ばしいことなはずなのに、ちっとも嬉しくないし、何が何だか分からない、状況を上手く呑み込めない、そんな気持ちでした。中には増員メンバーに対して、「ふざけるな」「消えろ」、他にもここには記載できないような過激な発言も数多く見受けられました。公演中のコンサートポスターが、増員メンバーの部分だけ刃物で切りつけられていたこともありました。私は、そのように怒涛の勢いで変わっていってしまった彼らを取り巻く環境についていくことができず、一旦距離を置くことにしました。
SNSが発達した現代において、ファンの意見は素早く、かつダイレクトにアイドルへ届いてしまいます。それが全て肯定的なものであればどれほど嬉しいことでしょうか。
しかしながら、当時のメンバーたちに対するそれは、ほとんどが鋭く、酷く厳しいものばかりでした。
どうして自らの楽しみである趣味に対して、そこまでして負の感情を剥き出しにできるのだろう。そもそも、言っていいことと悪いことがあるということは大体の人が理解できるのに、SNS上になった途端に「意見発信するのは自由でしょ?」というスタンスになってしまう人が多いのはどうしてなのでしょうか。

私の心に刺さったあの言葉

私は当時のファンによる言葉の辛辣さに疲れてしまい、あれほど大好きだったグループを純粋な気持ちで応援することができなくなってしまいました。
そんなときにTwitter上で見かけたのが、「心が疲れている人は失敗しないもの、安定して愛せるもの、愛しても誰にも批判されないものを選ぶ」というツイートだったのです。

当時の私にとって特に最後の部分が心に刺さり、救われたような気持ちになったのを今でも覚えています。デビューからしばらく経った現在、私はまた別のジャンルで趣味を見つけ、楽しく穏やかに応援することができています。

SNSが身近な存在となり、様々な意見を目にすることが多くなった現代において、趣味の分野に関してもこのひとことのような考え方は非常に重要なのではないかと思います。また私のように好きなことを純粋に楽しめず苦しんでいる人が救われてほしいです。