「光合成は人工的にできないんだよ。できたらノーベル賞級だよ」

小学生の時、塾の先生が理科の授業で言った一言。それはほんの数分のできごとだった。その時は、恐らくふーんと思った程度である。この言葉がどれだけ私を励まし、そして、私の足枷となったか。この時はまだ知らない。

猛勉強の末、第一志望に合格した私は、華やかな中学、高校生活を送るはずだった。しかしその夢はすぐ潰える。偏差値だけで決めた学校、生徒の雰囲気と合わなかった。友達がなかなかできず、毎日泣いて帰る日々。
周りの子達は遊んでいる中で、私のやることは、勉強か、家のパソコンでゲームをすることくらいだった。部活に、旅行に、といったものに当てるはずだった時間は、予備校通いへと変わっていった。そしていつしか私の青春の場所となった。

たまたまテレビに流れた「人工光合成」。やりたい研究との出会いだった

その日は予備校がたまたま休みだった。いつもなら家にいるはずがない時間に、ぼんやりとテレビを見ていた時に流れた特集は「人工光合成」。
小学校の頃の先生の言葉が一瞬のうちに脳内に駆け巡った。ついに、ついにできたのだ。当時できるわけもないと思った夢の技術が。この時から私は心の底からこの研究がしたい、そう思うようになった。

それから私は苦手な理系を選択し、一年浪人をした。文系に変えようかと思った時も、人工光合成を思い出し、思いとどまった。
先の見えない日々は心細くて仕方なかったが、「研究がしたい」その気持ち一筋でなんとか乗り切り、晴れて第一志望に合格する。

大学に入ってからは、いろんな人に研究のことを話して回った。友人に、先輩に、先生。みんながやりたいことがあってすごい、と言ってくれた。その一方で、行きたい研究室に行くため、成績を取るのに必死だった。その中で失った友情もあったし、サークルに行けなくなるなど犠牲も出てきた。それでも私は夢に貪欲になった。

夢を叶えたはずが、パワハラで療養。それでもやりたい研究は思わぬ形で

大学に入って4年目。満を持して入った研究室。私はそこでパワハラを受け、療養の日々を過ごすこととなる。今までにない挫折だった。
やりたいという夢があり、叶えたのにそれが満足にできない自分に嫌気がさした。周囲の説得もあり研究室を変えたが、あれだけ長年抱いた夢を、自分の手で壊すことにはやはり抵抗があった。しかしもはや泣く体力さえも残ってはいなかった。

しかし、大学に入ってから色んな人に夢を伝え続けたのが功を奏した。変えた先の指導教員は、私がやりたい研究のことを覚えていてくれ、そのテーマの研究をやらせてくれた。また夢を語る中で出会った人と、環境団体を設立するに至った。
今でも共同設立者は、研究をしている私のことを褒めてくれる。研究者になることは今は諦めたが、それでもこの研究を通して環境問題に向き合い、今は解決のためのまた別の職に就きたいと思っている。

あるタイミングで言った何気ない一言が人の人生を変えることがある

小学校の頃に聞いた魔法の言葉「人工光合成」これが私の原動力となり、居場所を作り続けてきてくれた。あるタイミングで言った何気ない一言が、人の人生を変えることがある。今、アルバイトで教師をしている時も、常に意識していることだ。この言葉一つで私は悪いこともあった一方で良いこともあった。あれだけ嫌いだった高校も、この研究に出会えたということだけで、今では行って良かったと思っている。

私の生きる意味と人生における価値観を見出してくれた、塾の先生。今どこで何をしているかはわからないが、もし会うことができるようなことがあれば、感謝の言葉を伝えたいと思う。