私は、自分の感情を 言葉や表情で表現するのがとてつもなく下手だ。
これは幼少期からずっと。人前での発表やディスカッションは、1週間も前から気が重いし、当日に近づくにつれて、自分でも信じられないほどの胃痛が私を襲う。
また、私の表現ベタは人間関係へも多大なる悪影響を及ぼしていて、怒っていないのに怒っているのかと心配されたり、知らない先輩に目つきが悪い生意気だと突然呼び出されたこともある。
とにかく、表現ベタのせいで、勘違いされることが非常に多い学生時代であった。

表現ベタを直したくて、話し方や笑顔を意識してみた。何が正解か分からなくなった

そのため、ずっとこの表現ベタを何とか直したいと思っていた。初対面で仲良くなりたいと思われるような表情や雰囲気。人を引き込む話術。そんなものを兼ね備えた人になりたいと心から願っていた。
だから、私はいろいろなことを試してみた。顔と早口の関西弁のせいで怖いと言われることが多かったので、早口を止めてみたり、関西弁を和らげるために語尾を伸ばしてみたり、終始笑顔を意識してみたり、動きをゆっくりにしたり、大量の自己啓発本を読んでみたり。これらを繰り返した。けれど、それらを繰り返している内に何が本当の正解なのかが分からなくなって、ありのままの自分を出すのが怖くなった。
そして、自然と話すことが億劫になっていった。

しかし、ある転機が起きた。私は勉強に打ち込む人生を送ってきたので、自分が生かせるものは勉強だと思い、大学1年生の冬頃から塾講師のアルバイトを始めた。勤務先は地元の個別指導型の塾で、比較的勉強が苦手な中学生を対象に勉強を教える。生徒は担当制ではなく、シフトが入っている日に塾へ行き、そこで初めて担当する生徒と生徒の人数、科目を知り、その指示に従って授業を行う。

塾講師のアルバイトを始めた。ウケたのは、ありのまま一生懸命話した授業だった。

ここで、私は大打撃を受けた。勉強を教えてお金を貰う仕事だから簡単でしょ。始めはそう思っていた。しかし、いざ初出勤。塾が信じられないほど賑やかなのである。
それは、多くの生徒は勉強が得意ではないので、生徒の勉強へのやる気を引き出すため、講師のキャラクターと話術で、とにかく授業を盛り上げなければならないからである。また、授業では初対面の生徒も沢山いるので、80分の間にいかに仲良くなって、生徒に勉強をしてもらえるか、という一発勝負の授業をする必要があった。
これは、表現ベタの私にとっては想像以上に苦痛な時間であった。中学生の勉強を教えることは問題ないのだが、コミュニケーションにおいては全くダメだった。会話が続かず、沈黙。生徒が深い眠りに落ちていく。反抗期で返事をしてくれない。もう辞めようかな、と何度も思った。

しかし、徐々に授業を重ねる内に、あることに気がついた。生徒にどう見られるのかを気にして作り込んだ私が行う授業は、あまり盛り上がらない。その上、生徒との距離も遠いまま。一方で、私のありのまま、つまり、その場の感情に任せた自然な表情と本来の早口の関西弁で、一生懸命話した授業は生徒のウケが良かった。

私は、ありのままの自分自身を表現することをもう恐れない

このことに気づいたとき、私は間違った努力をしてきていたことを理解した。他人を意識して作り込んだ自分は、偽りの自分だ。人を引き込む話をする場合も友好な人間関係を築く場合にも、まずはありのままの自分をさらけ出して、相手に自分を好きになってもらう必要がある。それを可能にするのが、自分らしさを全面に出す勇気である。
その勇気を持って自分自身を私が表現すること。それが、上手く話せるようになることや良い人間関係を築くことに繋がってゆくのだ。

だから、私は自分自身を表現することを、もう恐れない。時にはありのままを否定されたり、嫌われることもあるかもしれない。けれど、作り込んだ私のままでは、嫌われることはなくても、好かれることもない。ありのままを表現していれば、私のことを好きになってくれる人は必ず現れるのだ。
そのことを信じて、今日も私は早口の関西弁で授業をするのである。