私が大学3年生の終わりを迎える頃、当時付き合っていた彼氏の誕生日が間近に迫った日。
趣味で出ていたマラソン大会を応援する立場から見届けた私は、完走してから待ち合わせ場所に4時間遅れてやってきた彼に別れを告げた。
大きな荷物を抱え、呆然とする彼をその場に残し、私は帰った。もう2度と会いたくなかった。

自分を見てほしいという理由で練習に付き合わされる意味がわからず

彼は高校教師だった。生徒からの人気もあったと思う。少し古風で堅実な、目標のある人だった。
私は、彼がデート中にランニングの練習を始めることにモヤモヤしていた。忙しい職業ではあったし、休日に時間を作ってくれることはありがたかった。ただ、なぜわざわざ私と一緒にいる時間に走り始めるのかわからなかった。
理由を尋ねると、答えは簡潔だった。
「応援してほしいから、頑張っている姿を見てほしかった」と。私はここでもモヤモヤした。自分を見てほしいという理由で練習に付き合わされる意味がわからなかった。

東京マラソンで良いタイムを出す、それがその当時の彼が掲げた目標だった。
それはそれで良いと思った。トレーニングウェアや飲み物を用意したり、声を張って応援もした。でも私の気持ちは最初の説明を受けた日からずっと置いてきぼりだった。
彼は私の努力を褒めたことはなかった。次はこうしたらいい、そこはダメだからこうしないとダメだ、とアドバイスされる度、悲しくなった。私のサポートや寄り添った応援はしてくれないのだと気づいてしまったから。

「就活はほどほどにしていいから、子供も早くほしい」と言われて

そこから数年。私も少し大人になり、私の大学3回目の冬が終わる頃。彼はやっと目標だった東京マラソンにエントリーができた。
私も一緒に喜んだ。
彼は目標達成のチャンスを掴み、一層自分のことに打ち込むようになった。私も負けじと就活や勉強に勤しんだ。
何だか自分たちが自立したカップルであるような気がして、母のような心で他人を受け入れられている自分の変化が嬉しかった。

そしてエントリー通知を握りしめた彼は「結婚を考えている、就活はほどほどにしていいから子供も早くほしい」と言う。
私はいよいよ就活が始まるという時期に、何てことを言うのだと思った。彼の中で、私の人生プランはちっぽけなものだったのだ。「俺の人生プランを受け入れろ、専業主婦をやらせてあげるのだから幸せだろ」と言われている気がして、私はどうしても頷けなかった。「ちょっと考えさせてね」という返事に彼は不思議そうな顔をしていた。

彼念願の東京マラソンは、私も現地で応援しようと東京駅まで足を運んだ。そして彼はまた、スタート前になって「大きな荷物を預けられなかった」と言う。
私は陸上部の息子がいたらとこんな風なのかな、と思った。仕方なく荷物を預かり、背負う。5kg近くある荷物を背負って人並みをかき分けるのは、なかなか大変だった。

ゴールテープを切る彼の姿を見てから待ち合わせ場所に移動したものの、彼らしき人は一向に現れなかった。

心配になって連絡しても携帯は留守電、大会関係者に確認しても、当然「参加者様個人のことはわかりかねます」。もしかしたら出場者や関係者しか入れない場所で何かあったのかもしれない……焦る自分を落ち着かせようと、私は彼がいそうな場所を探すことにした。

私は彼を待ちながら、待ち合わせ場所の側を歩き回った。それから3時間たった頃、さすがに私の体力も限界を迎え、大人しく待つことにした。これ以上探しに歩いて、もし彼が来たら逆に待たせてしまう。間違えそうな場所にもいなかったし、何かあれば大会側から連絡がもらえるようお願いもした。大人なんだから、ただの迷子や行方不明ならどうにかなるだろう、万が一何かあったとしてもご両親には連絡が行くだろうと思いながら。

彼は東京マラソン完走後、結局待ち合わせ場所に4時間遅れてあらわれた。
やっと会えた彼は「だって、だって」を繰り返し、自分には非がないことを語りながら、人のいる中で私に詰め寄った。

「貧血で救護室にいた、携帯は荷物に入れっぱなしだった、何ですぐ迎えにきてくれなかったんだ、俺だったら関係者しか入れないところでも絶対心配で探しに行くのに!何で自分で考えて動かなかったんだ!」

スタートから6時間、待ち合わせ時間から4時間。私は母のような心ではいられなかった。
そのときは私も彼も自分のことでいっぱいいっぱいだった。それでも私は、救護室で寝ていたらしい彼のことより、怒鳴られている自分の方がかわいそうになってしまったのだった。彼を心配して探し歩いた時間は、彼にとって何もしていなかった時間だと言われてしまったから。

教師だから、一生懸命だから…。それは別れない理由にはならなかった

これが決定打だった。
私はこの人と結婚できないと思った。私もまだまだ親元を離れていない子供だったはずが、彼が幼い子供に見えた。
この人を応援しながら、子供は育てられない。そう思ってしまったのだ。

子供が欲しいと強く思ったことはまだなかったけれど、いつか支え合えるパートナーと子供を授かって育児したいと思っていた。共に頑張り、お互いを慮りながら、ありがとうとごめんなさいを大事にした子育てがしたいと思っていた。
若さから夢を見ていたかもしれない。でも当時の私に一回り近く歳上の子供をお世話する覚悟はなかった。まったく、1mmも。
教師だから、古風だから、自分に一生懸命だから、というのは何の別れない理由にもならず、私と彼は別れることになった。

別れたことに後悔はない。今でもいい勉強になったと思っている。実年齢や仕事、相手に対する憧れだけは結婚はできなかった。きっとこれからも私の大事にしたいものは変わらないと気づけた。

もしこの先、お互いを尊重し合える相手と出会えたら、結婚したいと思えるかもしれない。共に応援し合える相棒のような人を探しながら、あの日の自分の気持ちを大事にしていきたい。