決まって夕方5時、うちの玄関にあの子がやってくる。呼び鈴のかわりにゴロゴロ、にゃーにゃー。
「どうもクロちゃん、今日もチュールですね?」
「にゃーご」
「そろそろうちの子になる気はないかね?」
「ぺろぺろぺろ…(チュール)」
キミが隣の家では「ナツ」と呼ばれていて、その先の家では「チョコ」と呼ばれているのを知ってるんだからな。この浮気者め。
彼はわたしが嫉妬深い女だと知っているのか、うちに本妻を連れて来たことはない。でもどうやら「ナツ」と呼ばれているお宅には、妻と子どもを連れて毎朝カリカリをちょうだいしに伺うらしい。ジェラシー。

クロちゃんとは長いよしみだ。いまでこそでっぷりと肥え、「ヤ」の付く人みたいな目つきで道に寝そべっているが、6年前わが家の軒先に現れた当初は痩せた体を震わせて、目はまん丸で、それはそれは小さな声でか細く「にゃぁ」と鳴いたものだ。
わたしは毎日「そろそろうちの子になる?」とお誘いしているが、本気ではない。不倫中の女が「わたしたちはいつ結ばれるの?」と言うみたいに、見込みがないと分かって聞いている。
クロちゃんは、チュールさえあれば用は無いとそそくさと妻の元へ帰っていく。後ろにぶら下がったきんたまが憎い。子猫のときはそんなもん付いてなかったじゃねえか。

メス猫のおしり目がけて奔走するのは、人も猫も一緒なんじゃないか

そしてわたしも猫を飼う覚悟がない。
「独身女が猫を飼ったら終わりだ」と囁かれる時代に生まれ育った。
猫を飼ったら、終わりだ。

最近クロちゃんは本妻とお別れしたらしい。子どもは成長して旅立ったそうだ。あぁ、これが世にいう熟年離婚というやつですか。
バツイチとなった彼は手当り次第に女の子たちへ猛アタックを繰り返している。そもそも猫は決まったパートナーをつくらないと聞く。奥さんと別れたのはもしかしたらクロちゃんの運命だったのかな。

ところで、この春、ご近所のNちゃんが結婚した。妹の同級生であるNちゃんはたしか26歳で、家庭裁判の末に、不倫相手とよい関係に結ばれたらしい。お相手と元奥さんの間には5人の子どもがいる。…あくまでも近所の噂だが。
尾ヒレのついた噂ばなしは、オチさえ見つかれば一瞬で次の議題にワープする。今回のオチは「ふたりはいつか刺される」という物騒なものだった。

定刻、今日もクロちゃんはうちに来る。
「あんたは猫で良かったね。どれだけ女や子どもをつくろうが刺される心配はないからね」
「ぺろぺろぺろ…(チュール)」
クロちゃんは今夜もメス猫のおしり目がけて村をかけまわるだろう。そこだけは猫も人間も一緒なんじゃないかと思った。
きみは元奥さんを思いだして、センチメンタルな夜をやり過ごしたことはあるの?

クロちゃんが本気でうちの子になりたいと思うなら、わたしは今すぐホームセンターに直行してなるだけ可愛い首輪を買ってくる。「終わった独身女」になることも厭わない。
ねえクロちゃん、そろそろ本当にうちの子になってみない?
きっときみは死ぬまでわたしにいい返事をくれない。わたしは独身女として終わる覚悟を持てないまま、きみはメス猫を追い求めるまま、ずっと並行線を辿るんだろうね。