私は「環境問題を解決したい」と幼少時からずっと思ってきた。それで、世界中の人を笑顔にしたいと。その夢が実現できる仕事に就くことが、私の働く理由であると信じ続けきたし、今でもそうである。

しかしながら、就活をしていてよくわかったことがあった。世間は意外とそのように思っていない。

仕事のことになると自分のためという考えより「人のため」に働きたい

「お金のため」という人もいれば、「キャリアのため」という人もいる。大企業に入ったことを自慢する人もいる。なぜ、みな自分のために働くのだろう、私には不思議にしか思えなかった。

しかし逆に考えると、なぜ私は社会のために働きたいのかがわからなかった。これまで自分のために努力をしてきたし、自分のために欲も満たしてきた。

それなのに仕事のことになると「自分がどうなりたいか」という考えが全く思い浮かばない。「人のためになりたい」それだけなのだ。なぜなのか。

そして、疑問はもう一つ。なぜ、環境問題など世界規模の大きな問題の解決に携われると本気で思っているのか。そもそもなぜ、自分に影響するかもわからない問題を世のために解決したいのか。考えていると、ある一つの仮説にたどり着いた。それは、祖母の影響だ。

私の祖母は、時代も時代で専業主婦であったが、子育てが一段落したのを機に社会活動を始めた。近所の子供会の運営、赤十字。そして、各国との交流。

そういったものを当時、まだグローバルなどという言葉とは程遠い時代に行っていた。外国語で書かれた表彰状を見つけた時は心底驚いたものである。この活動ゆえに、祖母は世界中に友達がいた。

祖父は、パワフルで多くの「人から愛された」祖母の話をしてくれた

志半ばで、末期癌を宣告される。普通はそれだけで気が滅入ってしまいそうだ。しかし、祖母はかなりパワフルな人であったらしく、入院はせずに単身アメリカに向かった。亡くなる数ヶ月前にも新年の祝賀パーティーを開いていたという。入院していたのは、死の1ヶ月前だけ。多くの人から愛され、お葬式にもたくさんの人が参列した。

さて、ここまで書いておいてなんだが、私は祖母を知らない。亡くなったのは、私の生まれる半年前の出来事だったからだ。写真で顔は知っている、それくらいである。

でもなぜか、かなり詳細に祖母のことを語ることができるのだ。それは、祖父の影響であった。良い夫婦仲であったのであろう。祖父は昔からよく祖母の話を、それはそれは嬉しそうに話した。

「街中を歩くとみんなから声をかけられた。子供たちは手を振りながらこちらに走り寄ってきた」「多くの人の役に立ち、愛されていた。その功績を認められて、こんなすごい賞をもらったんだ」と。

祖父は自分のことをあまり語らなかったが、こうやって祖母の自慢をよくしていた。昔は何も思わずに素敵な夫婦関係の話と思って聞いていたが、ある日気がついたことがある。死後もなお、こんな風に言ってもらえる祖母はなんて幸せなんだろうと。

自分のことを犠牲にしても「人に喜んでもらえる」ような仕事がしたい

私にとって、社会福祉活動も世の中が困っている大きな問題を解決するのも、とても身近なことだった。誰にも簡単に参加できる、そういう活動のように思えた。だから「挑戦したい」そう思うのは、普通の流れだったのだ。

そして、なによりも自分のことを犠牲にしてでも、人の喜ぶ姿を見て嬉しそうに笑う家族をずっと見て育ってきた。そして、いつしか私もそうありたい、そう思うようになったのだ。

祖母は、たしかに亡くなった。しかし、その意志は家族に、そして私に確かに受け継がれていたのだ。

キャリアを積みたいと、私は考えていない。人の役に立つ。その意識があれば、勝手にキャリアはついてくるのだと思っている。

せっかく環境問題という、私が自分の手で解決したい問題を見つけたのだ。私も祖母のように、世のため人のために働き、多くの人が笑顔で暮らせる世の中を作り出したい。

そして、死後もなお多くの人に語り継がれ、人々の励ましとなりたい。その先に自分の意志を継いでくれる人が現れたら、そんなに幸せなことはないだろう。これが今私の考える、私の働く理由である。