働くという言葉や、仕事という言葉で、会社で私がしているあれこれをなるべく定義づけないようにしている。この2つの言葉には、ネガティブなイメージが付きまとうし、自分のやっていることの本質が見えなくなってしまうような気がするからだ。
やりたくない仕事も、好きなものに変えてしまう
働くというとやらされているような感じがするし、仕事というと与えられた物事のような感じがする。私は好きなことしかやりたくないし、しないと決めている。私の人生であり時間なのだから、好きなこと以外はしなくていいと思う。
会社が払う給料程度のお金で、私の人生は買うことができない。好きなことをして、ついでにお金がもらえる。そんな感覚を意識的に保つようにしている。
私は映画会社で働いている。とはいっても 、映画と聞いて多くの方々が思い浮かべるような仕事ではない。Blu-rayやDVDの売り方を考えたり、在庫の管理をしたりしている。やりたくないことにも、多々直面する。
私はそれらと向き合う時に、できるだけ好きなものに変えてしまおう、または好きなことを一部混ぜてしまおうとして取り組んでいる。
例えば、発注先との数量のズレが多かったので、その原因が複数の数字を混同してしまうことだと突きとめて、発注フォーマットを改良した。発注業務自体に面白みはないけれど、そのフォーマットを見る度に「頑張ったな私」と自己肯定感がミリ単位で上がる。ただ、毎日ミリ単位で上がっていくので、1年を通すとちょっとした坂を上ったぐらいの自己肯定感にはなっている。
一人の力では出来ないことが、会社という場では出来る
もちろん、純粋に楽しいことも多い。好きなことしかやらないというのは、好きなことならやるということだ。他人の顔色は気にならないし、前例がなくてもやる。
Blu-rayやDVDの販売促進はほとんどの場合、レコードショップや家電店の売り場づくりがメインだ。SNSによる発信はしていたが、WEBサイトを作ったり、WEBサイトとSNSを繋ぎ合わせたりするような、大掛かりなWEB販促は前例がなかった。それでも時代の流れがあり、今年度になって社内でデジタル販促チームが発足した。
絶対、私が一番ノリでこの機会を活かすぞと思い、企画を持ち込んだ。正直、企画書はお粗末なものだったが、デジタル販促チームが発足したタイミング、また販促のしがいのあるタイトルのリリースというタイミング、この2つを逃さなかったのは我ながら自分を褒めてあげたい。
会社という場の素晴らしさについて、このWEB販促プロジェクトを通して気が付いた。
私の思い付きが、どんどん具現化していき、広がりを見せた。様々なアイデア、全く別の視点、私の知らない知識、蓄積された経験、その人にしかないコネクション。てんでバラバラのところにあったものが、特別に働きかけなくても集結していく。会社で出会った人たちの考えや気持ちが、このプロジェクトや私自身の養分となり、更に枝葉を広げることができた。
私一人の力で何かを作り上げて、手柄を独り占めして自己肯定感を上げたいし、他人に認められたいと思っていたけれど、それだと小さくまとまってしまう。自分一人の力で作り上げるのとは、けた違いの創造性を孕んだものが、会社と言う場所では出来上がる。今の私は、会社という人材と資金と手段の揃った、最強のツールを使いこなすことにより、どんどん好きなことをして、楽しい人生を送ろうと考えている。
苦手なものを捨て、本当にやりたいことが見えるようになった
正直、ここまで吹っ切れるのには1年ぐらいかかった。私は、元来人見知りなので、人間関係を築くのが苦手だし、面倒くさささえある。それでも、仕事を頑張っているのに協調性がないという理由から、人事評価で減点されるのは絶対に嫌だったので、なるべく明るく振舞っていたし、足並み揃えて行動するようにしていた。
ある時もう無理ができなくなって「全部頑張ろうとして、得意なことまで中途半端になってしまってはいけない」と、協調性というものをポイと捨てた。苦手だしさして重要と思えないものを捨てたおかげで、本当に自分のやりたいことがはっきりと見えるようになった。
だから、私は自分の毎日を働くとか仕事とか、抽象的な言葉では表現したくない。私が好きなことをする、それだけだ。