20歳の夏、彼氏と別れた。
17歳からつきあっていたひとだった。
別れる一年前から、連絡を取らず、会いもしなかった。
その間に、わたしは別れる心の準備をしていたし、きっとあのひとも、わたしがいないことに慣れていた。
自然消滅させてもよかった。でも、ちゃんと別れを告げた。
19歳の春、わたしは大学に通うため、上京した。
わたしの学校は、一般大学で、わたしは何万人もいる一生徒になった。
目指していた大学には入れず、合格していた美大は、家庭の事情で通えなかった。
そんな10代最後の春だった。
学校に行かなくなった私を訪ねてきた彼。これが最後になるなんて
初めは大学の目新しさに惹かれて、毎日通っていたけれど、段々、現実と理想の差が嫌になってきた。
わたしは、学校に行かなくなった。
親にお金がある訳でもないのに、ひとり暮らしまでさせて通わせてくれるのは、恵まれたこととわかっていた。
それでも、学校に行こうとすると、何もする気が起きなくなる。
そんな日々を何ヶ月も続けた。
ある日、彼氏がわたしの家に来た。
初夏の暖かい昼下がりだった。
いつもとは違い、視線は冷たくて、目を合わせようとはしてくれなかった。
この会話が最後になるとは思ってなかった。
「どうして学校に行かないの?」
わたしは黙ったまま。
「すごく恵まれてるってわからないの?」
わかってるよ。わかってるけど。
「したいことを応援されて、学校にも通わせてもらえて。」
そうかな。きっとそうなんだよね。
「何が不満なの?」
そう言われたとき、わたしのなかで何かが込み上げてきた。悲しみのような、怒りのような、黒い感情だった。
私の行きたかった大学に通う彼。代わってほしいと何度思ったか
彼氏は、わたしの行きたかった大学に通っていた。それも望んで入学したのとは遠く、家庭の事情で、そこにしか入れなかった。
辞めたい、と何度聞いたことか。それなら、わたしと代わってほしいと何度思ったか。
入りたい学科に入れたあなたにはわかるまい。
わたしは望んだことを、何も叶えられなかった。
その気持ちは、何かひとつでも叶えられたひとにはわかるはずがない。
「あなたにはわからない」
わたしが唯一、言えた言葉だった。
この黒い感情を、彼氏にぶつけたところで、期待している言葉が、もらえる訳じゃない。
口に出してしまうと、わたしが壊れる気がした。
それだけじゃない。いま、このひとといると、嫉妬にやかれて、わたしじゃなくなる気もした。
はやく帰ってほしかった。このままじゃ傷つけてしまう、と思った。
けれど、彼氏はすぐに続けてきた。
「言ってくれなきゃわからないよ。」
黙ってくれ。もう、これ以上何も聞きたくないし、言いたくなかった。
窓の外から、ゆうやけこやけが聞こえてきた。
気がつけば、外は段々と、暗く夕焼け色になっていた。
こんなに居心地のわるい沈黙は、初めてだった。
あれが最初で最後の喧嘩。別れてよかったと、思えるようになった
その日からちょうど一年後、わたしは彼氏をふった。
「あなたの才能に嫉妬してた」
初めて言ったことだった。あなたはそんなこと思われてたなんて、知らなかったでしょ。
あのひとに音楽がなければ、と何度も何度も思った。わたしに美術がなければ、と何度も何度も思った。
けれど、わたしたちはそれがなければ生きていけないほど、自分の一部としていた。
あのひとといた日々は、21年のなかの、ほんの少し。
けれど、まるで生涯を過ごしたような心地だった。
あのまま一緒にいたら、どうなっていただろう。きっとわたしは、自分を見失っていた。
別れてよかったと一年経って、思えるようになった。あの日があってよかった。
あの日が、最初で最後の喧嘩だった。