「あなたって、笑顔が最高ね」
「あなたの笑顔を見ると幸せな気持ちになれるわ」
いままで、たくさんそう言われてきたし、そういわれてとても嬉しい気持ちになっていた。笑顔は私にとってアイデンティティで、これこそが私の美点なのだと思っていた。
私も、友達の笑顔がキラキラしていると、嬉しい気持ちになったし、その子に対して素敵という感情を抱く。私の母もいつも笑っているし、目尻の皺がそれを物語っている。
だから、私は小さい頃からよく笑うことを心がけていた。素敵な人になりたいし、私の母と同じように笑顔が印象的な人になりたかったから。
でも、その嬉しい言葉が「私イコール笑顔」のイメージを絶対に崩してはいけない、という圧力に変わっていたなんて、いつも笑顔の私からは誰も想像していないだろう。まぁ、全然想像して欲しくはないけれど。
人前で笑顔でいるために、辛い時は鏡を見て、ニーッと口角をあげてみたり、1人の時はたくさん泣いてみたり、色々と努力をしてきた。笑顔でいるって実は結構大変で、ストレスだったりする。
ネガティブな感情を押し殺して一生懸命笑顔を作った
笑顔でいることが大切なら、人前では笑顔以外の感情を顔に映してはいけないし、笑顔に見合った言動をしなければならない。
私は、そんなに強くないから、泣きたいし、怒りたいし、ネガティブなことも口から溢れる。それを押し殺して、笑顔を作って生きてきた。それに、笑顔の印象が強いから、それ以外の感情を表に出すことで他の人に引かれてしまわないか、不安だった。だから、一生懸命に笑顔でいることを心がけた。
でも、そこまでして作った笑顔って、本当に、その人たちが言う「素敵な笑顔」だったのだろうか……。笑顔でいることは、私にとって一種の義務のようなものだった。そんなこと考えている時点で、笑顔じゃないし、本当に素敵な笑顔って何なんだ、と不思議な気持ちになる。なんなら、人は何で私の笑顔を褒めるのかも謎になってきていた。
笑顔だけが私に与えられた感情の表現方法じゃないと教えてくれた
私は、素敵な男性に出会った。
出会った時から、私を包み込むように、私の持つ全部の感情をひとつずつ大切にしてくれた。他の人には見せない涙や怒りは、全部受け入れて、私の新たな一面としてそれを見せることを喜んでくれた。そして、笑顔以外の私も魅力的だと伝えてくれた。
私は、その人のおかげで、笑顔だけが私に与えられた感情の表現方法ではないことを知った。また、私の中にたくさん渦巻く感情表現のうちの「笑顔」が、どれだけしあわせを象徴するものなのか、そして、しあわせを感じるときに自然と溢れる笑顔が、本当の「笑顔」なんだと気がつくことができた。
「笑っていること」が大切なのではなくて、「しあわせなこと」が私を自然と笑顔にして、周りの人たちを「笑顔」にしていたのかもしれない。
笑顔の連鎖の始点が私のしあわせなのであれば、私は今日もしあわせでいたい。
今日も、しあわせな1日が過ごせますように。
そして、素敵な笑顔が溢れ出ますように。