「俺、B専だから」
おそらく何の意図も悪気もなく彼が放ったであろう言葉だった。食後の他愛のない雑談の流れでお互いの過去の恋愛の話になり、彼が学生時代にサークルで一番可愛いと言われていた後輩女子に好意を寄せられていたけど、全く興味が湧かなかったという話に、何で、と聞いたら返ってきた返答。それは(最近ようやくかさぶた程度になっていた)わたしの容姿コンプレックスの、もうそれは見事にど真ん中に刺さって傷口をパックリ開けた。

顔が可愛くないと、巻き込み事故的に突然傷つけられることがある

顔が可愛くないと、こうやってある時不意に、もう本当に全く予期しないタイミングで、いきなり傷つけられるという巻き込み事故的な出来事が度々起こる。

いわゆる「可愛い子」と比べて恋愛のハードルが高めに設定されているだとか、輝度の高い青春な思い出が少ないだとか、化粧のコスパが悪いだとか以上に、こういう嬉しくないサプライズに出くわす瞬間が「可愛くない」ことの1番のデメリットだと思っている。いっそ、こちらを指して大声で「ブス!」と言って、ひと思いに殺してくれよと思うのだけど、大変幸いことにわたしは周りの人には恵まれ、そのような無礼で非常識なことをしてくる人はなかなかいない。

だからこそ、そういう優しい人たちでも無意識の中でわたしのことを「容姿が可愛くない」部類に分類しているんだ、というのがぽろっと垣間見えてしまったとき、「妥当だよなぁ」と冷静に受け止める半面、ただひたすら布団の中にくるまりたくなる。

今年25歳になるというのに、まだ容姿でくよくよしてしまうのか

ただ今回いつもと違ったのは、悲しいフェーズが過ぎ去った後にやってきた「傷ついた自分に対する驚きの感情」だった。思春期真っ盛りじゃあるまいし、今年25歳にもなるというのに、まだ容姿のことでくよくよしてしまうのか自分は、という自責の念。容姿に悩みながらも、そんな上っ面のことに心をかき乱されてしまう自分がとんでもなく浅はかで自意識過剰で情けなく思えた。

社会人になってからは、学生のときほど美醜を気にしなくなったはずだった。美しくあるよりかはバリバリに仕事ができるようになりたいし、たとえS級の美人でなくとも、仕草や身振り、ユーモア、細やかな気遣いなどあらゆる要素から「魅力的な人間」は成り立っているのだと職場の先輩お姉様方が教えてくれた。それにもかかわらず、容姿について悩み始めた中学生の頃から何一つ変わっていない、見た目に重きを置き過ぎている自身の「ならなければいけない、なりたい理想の女性像」にショックを受けた。

「最高にプリチー!」くらいのマインドが一番大事なんだと思うけど

結局のところ、どんなに着飾ってどんなに美容にお金をかけても自身の容姿に完全に満足することは、少なくともわたしはない。「誰がなんと言おうがわたしは最高にプリチー!!」くらいに自分のことを強気に肯定してあげるマインドが一番大事なのだと思う。
ほんの少しの、健全な程度のうぬぼれがあれば、他人の言葉や視線なんてへっちゃらだし、自分自身に押し付け続けてきた偏った理想の女性像も「はいはい」とかわすことができるだろうに。自分がその域に達するのにはまだまだ時間がかかるらしいと気づいた出来事だった。

とはいえあんまり自分を責め過ぎずに、たまには年齢不相応にふてくされてべそをかきながらも、容姿コンプレックスに振り回されたり呆れたりする自身の中の矛盾も含めてまるっと自分を愛してあげられるようになることが、自分を救う方法なのかなとも思った。
30歳くらいまでにのんびりとそれを達成したい。
そして同じような悩みから脱却された方、ぜひご助言をお待ちしております。