特集:あの人に謝りたいこと

余命わずかの祖父か、仕事か。迷うことができなかった私は、最後まで身勝手な孫だった

あの人に謝りたいこと

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2019年5月、祖父が余命宣告を受けた。私はその数日後から、仕事で1ヶ月のあいだ家を離れることが決まっていた。日本全国を廻って、学生の進路選択を応援するイベントを運営するという、とっても特殊な仕事をすることになっていたのだ。そして力不足ながら、その旅の“リーダー”を務めていた。

仕事を選ぶか、祖父のそばにいることを選ぶか。1ヶ月後に戻ってきたときには祖父と話すことができないかもしれない、とお医者さんに告げられた私は、迷わなかった。

家を出発してから20日が経った日の早朝、母親からの電話で目が覚めた。画面に映る、LINEの着信。その瞬間、何が起きたのかを悟り、そして電話を切ったあと何をすべきか考えた。家から遠く離れた熊本のホテルのベッドの上で、私は妙なほど落ち着いていた。電話越しの母親の声は、よく覚えていない。涙の混じるかすれ声のようにも、疲労のこもった単調な声のようにも聞こえた。

ほっとする自分もいた。気にしないふりをすることも、やめて良い

電話を切り、いつものように準備をして、いつものように司会進行をして、夕方までのイベントを終えた。そして一緒に仕事をしている仲間を呼び出し、祖父が亡くなったこと、実家に帰らなければならなくなったことを伝えた。やるせなくて胸が張り裂けそうだった。でも同時に、ほっとしている自分もいた。実はもう、限界だったのかもしれない。祖父のことを気にしていないふりをしながらまったく違うものに向き合っている自分を許せないという感覚が、ふっと浄化されたような気持ちに近かった。私が気にするべきだった祖父は、私の顔を見ないまま亡くなった。もう会うことはできないのだった。笑いかけることもできないのだった。でも、私はそれを気にしないふりをすることも、もうやめて良いのだった。

実家のある神奈川に戻り、お通夜に出席し、お葬式を終えた夜のことだ。家中に響いた緊急地震速報と、それに続く大きな揺れ。
2019年6月18日、22時22分、震度6強。山形県沖地震だった。
テレビの画面に赤字で映された「酒田市・津波」という字面が目に入ると同時に、背筋が凍った。ちょうどその日に、私が一緒に全国を廻っていた仲間が山形県酒田に到着したのだった。頭が真っ白になって、慌てて携帯を手に取った。震える右手を左手で抑えながら、仲間たち全員に、「落ち着いたら無事かどうかだけ知らせて」と短いメッセージを送った。

とにかく祈るような気持ちだった。私の大切なひとを、これ以上、失いたくない。「私がそばにいれば」 ー そんな気持ちをまた抱えては、きっとそばにいてもいなくても変わらない自分の無力さに落ち込んだ。数分後、仲間全員の無事を確認してやっと、こらえていた涙が溢れた。私の大切なひとを、これ以上、失わずにすんだ。

衰弱していくだけの祖父を見ているより、仕事で役に立ちたかった

私が山形で地震に遭わなかったのは、祖父が救ってくれたからだと叔母は言った。祖父の最後の優しさ、いや、そんなふうに周りに推測をさせてしまう彼の愛ある人間性に、また涙が溢れるのだった。

今、思うことがある。あのとき私は「迷わなかった」んじゃない、「迷いたくなかった」のだ。祖父の余命宣告を受け、仕事か祖父か、選ばなければならなかったあのとき。

東京で初回のイベントを終えたあと、頭の中をかき混ぜられるような衝動を感じ、涙がどうにもまったく止まらなくなったことがあった。その数日後、一時帰宅の許可を得て、スーツケースを抱えて電車に飛び乗った。面会時間ぎりぎりに病院の門を潜り、祖父が寝ているベッドの脇に立って「じい、ただいま」と何度も声をかけた。反応はなかったが、しわしわの手を握ってしばらく椅子に座っていた。実家に戻り玄関を入ると、体育座りにしゃがみ込んでわんわん泣いた。その様子を見て母親は心配していたが、私は自分の中だけで結論を出し、翌日またスーツケースを引いて東京へと戻っていった。

衰弱していくだけの祖父をそばで見ているより、未来ある学生の「いま」を応援するほうが、自分が役に立てると思った。そしてなによりも、ちっぽけな“リーダー”として、すこしでも頼られるようになりたかった。ダメなやつと思われたくなかった。

結果私は、祖父の最期を見届けることも、そばで介抱し続けた家族を支えることも、“リーダー”としての責任を果たすこともできず、ふらふらと宙ぶらりんの状態で帰還した。文字通り、祖父に合わせる顔のないままで。

気づくのが遅くなってしまったことを、笑って許してくれるだろうか

祖父は孫のなかで唯一の女の子である私をとびきり可愛がって、会いに行くとお小遣いをティッシュに包んで「内緒だよ、」と言って渡してくれた。
全国を巡る旅に2年続けて出て行く孫を眩しそうな眼差しで送り出し、私の土産話と、お小遣いをはたいて買った小さなお土産を、愛しくてたまらないというふうに見つめた。私はそんな祖父が好きだった。ずっと一緒にいたかった。最期の声を、目を、体温を、この五感に焼き付けておきたかった。

決断することはときに、なによりも苦しくて残酷だ。今回の私の全国を巡る旅やそこで得た経験は、祖父が私に会わないまま亡くなったという事実と、それにまつわる様々な葛藤によって靄に包まれ、記憶から取り出すことが難しくなってしまった。ほんとうは祖父に伝えたい。東京で出会った人たちのこと、熊本で食べた馬刺しの味。伝えたいのに、うまく取り出せない。

あのとき迷いたくなかった私はいま、迷えるようになっただろうか。
自分のために、自分の大切なひとのために、後悔しない時間のために、諦めたくない選択肢のために、思いきり迷うことができているだろうか。
なけなしの責任感や、がっかりされたくないという承認欲求に負けて、自分の大切なものと向き合う時間を見ないふりして切り捨ててはいないだろうか。

祖父にとって私が、私の買ってきたお土産が、役に立つかどうかは心底どうでもいいのだった。そのことに気づくのが遅くなってしまったことを、祖父はまた笑って許してくれるだろうか。おじいちゃん、ちゃんと迷うことができず、最後まで身勝手な孫でごめんね。ずっとずっと、だいすきだよ。
近いうちに、とりとめのないお土産話を聞いてください。あなたの優しい微笑みが、恋しいので。

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