好きだった。高校3年間ずっと。
栗色の細くて柔らかそうな髪、生気を失った目、すらっとした体つき、頭の良さを隠そうと寡黙にしていても滲み出る知性。すべてが、こんなど田舎で見つけられるとは到底思えないような宝物と言ってはおかしいが、崇高な輝きを放っていた。
彼はいわゆる「隠れ王子」として有名だった。しかし、一瞥するだけで無言で一蹴されるような氷のような冷たさがあり、女子は誰も話しかけられなかった。手を伸ばしても触れられないような、そんな存在だった。

彼との時間があまりにも非現実的過ぎて、見えている世界が幻に思えた

そんな「隠れ王子」とわたしが付き合うことになるとは、高校の同学年200人誰一人予想だにしなかっただろう。

彼もわたしも、東京の大学に進学した。同じ塾だったので、進学先は知っていた。高校在学中に意を決して聞いたメールアドレス。在学中はどんなメールをしても一文かつ絵文字なしで返されて、送るたびに心が折れた。
上京して1ヶ月後、そのアドレスから、突然メールがきたのだ。信じられなかった。
「久しぶりー。元気してる?」
わたしは驚愕のあまり何度もメールを見直し、受信元が間違いないか、スマホに穴が空くほど確認した。本物の彼だった。
数日後、田園都市線の駅で会った。彼と二人で過ごす時間があまりにも非現実的過ぎて、今見えている世界が幻のように思えた。

なぜかその日、流れで付き合ってみることになった。急すぎた。考える暇もなかった。
彼いわく、「大学に気の合いそうな人がいない」らしい。そりゃそうだ。
冷酷イケメンであるがゆえに、3年間誰もまともにあなたに話しかけられなかったのに、たった1ヶ月で誰があなたに話しかけられるだろうか。
わたしたちは交際を始めた。
陰気という共通点を持っていたためすぐに気が合った。3年間の穴は一瞬にして埋まった。高校時代の関係性はまるで虚構のように思えた。

わたしの憤りより日本経済のことを真っ先に考える彼に、腹が立った

最初の半年は、毎日信じられないほど幸せだった。死を恐れるほどの愛情が、そこにはあった。もし明日わたしが死んでしまったら死んでも死にきれない、彼ともっとたくさんの時間を過ごしたい、二人だけの世界でずっと愛し合っていたいというまる裸の欲望と底無しの生気がみなぎり、ちゃんと、生きていた。
しかし、出逢いがあれば別れもあるとはこういうことで、離別の刻は迫っていた。

付き合って約1年半、箱根旅行の時に事件は起こった。2月で、中国の旧正月真っ盛りだったため、ここは中国の地元民が足繁く通う中華料理屋かと思うほど、観光客で溢れていた。ロープウェイで長時間並び、わたしはイライラしていた。しかも、生理中だったのだ。

ただ、生理中だったとしても、短気で傲慢だったと思う。
「観光客のせいで全然乗れない!」
と、怒りを露わにしてしまった。若かったのだ。
その時だった。
彼はものすごく機嫌を悪くして、こう言った。
「観光客のお陰で日本の経済は回ってるんだよ」

人と人との別れなんて、本当に小さなきっかけから始まってしまう

今思うと、そんな独特の思考を持つ彼がずっと好きだったのに、別れる最初のきっかけがわたしが愛した彼の拘りだったとは、なんという皮肉だろう。
自分の憤りよりも日本経済のことを真っ先に考える彼に、腹が立った。
その時は必死だったが、今考えると本当に滑稽だ。まず比較対象が日本経済という一概念であることがおかしい。せめて、生き物で比べるべきだ。
それからというものの、驚くほど波長が合わなくなった。自我が強いわたしは、あの一言をどうしても受け流すことができなかったのだ。結局わたしから別れを切り出した。まさか大好きだった彼との別れの発端が日本経済と比べられて自分が負けたからだなんて、26歳になった今でも口が裂けても人には言えない。
しかし、人と人との別れなんて、本当に小さなきっかけから始まってしまうのだ。自分が許せるか、許せないか。たった一つの言葉が石のようになり、飲み込むことができないまま、二度と消えない。その時点で終わりへの準備は始まっているのである。

先日、高校の友人から突然連絡が来た。彼が自分のSNSで、婚約の報告をしていたらしい。友人の連絡をみたときは、少し複雑な気持ちだったが、「おめでとう」と心から言える自分が、今はちゃんといる。
日本経済よりも優先できるほどの愛おしい存在に巡り合った彼の未来が、もっともっと明るいものでありますように。そう祈っている。
今のわたしにできることは、ただそれだけだ。