私が働く理由。はっきりと言える。ずばり、夫と美味しいお酒を飲むためだと。

 この春で社会人7年目になる私の仕事は、相談援助職。毎日人の相談に乗っている。体や心のこと、お金や育児など相談内容はさまざまである。
 そんな仕事に就いている人間の働く理由が「夫と美味しいお酒を飲みたいから」そんな理由で大丈夫ですか、と思われるかもしれない。それでも、こういう風に考えられるようになるまで長く悩んだし、悩んだ中で導き出した自分なりの答えだと胸を張って言える。

  • 疲れた時や死にたい気分の時、元彼がくれた豆知識が心をあたたかくする

理想を掲げた1年目、何のために働いているかわからなくなった3年目

 私は、学生時代から憧れて今の仕事に就いた。けれども働き続ける中で「理想と現実」の違いを思い知らされる機会が多く、理想を追い求めて仕事をしていた私は、何のために仕事をするのかわからなくなった。社会人3年目の頃から「何のために働いてるんだっけ」といった内容の日記が増えていった。
 心のどこかで「こんな中途半端な気持ちの人間が人の相談に乗って良い筈がない」「人のために働く仕事なのに、働く理由をやりがいと思えないなんて失格だな…」と思いながら、他にやりたいことや興味のあることがわからず、かといって何の指標もなしに新しい世界に飛び込む勇気もなく、過ぎていく時に流されながら働いていた。

 憧れと情熱がなくなった時、私の中に残る働く理由はなんだろう。その答えはすごく知りたいものなのに、全然わからなくて苦しかった。いつも混沌とした気持ちで働いていた。

もしも私が仕事を辞めても、今のようにお酒を美味しく飲めるだろうか?

 その転機となったのは結婚だった。私と夫はお酒が好きで、毎日晩酌をしている。仕事が終わってから飲むお酒は本当に美味しい。その時にたわいもない話や真剣な話をしたり、反対に聞いたりすることが楽しい。

 ある時、もしも私が働かず夫の収入でごはんを食べていたら、こんなに美味しいと思えただろうかと想像してみた。人によって色んな考え方があると思うが、私は思えないだろう。二人で働いているからこそ、今日も疲れたという話をツマミに飲めるし、一緒に汗を流して生活を成り立たせていると感じられる。働くということは、お金を稼ぐことであり、少なからず重荷だ。それを夫だけに背負わせていたら、あんなに美味しいお酒は飲めない。働く理由が見出せず苦しい時期もあったが、答えはこんなに身近にあるのだと気付くことができた。大切な人との大切な時間を守るため、家族のために働く。結婚をして自分の稼ぎが生活に直結するようになったからこそ、そう感じられるようになったのかもしれない。

 そんな話をまた夕食の席で話す。お酒を飲みながら。聞いてくれる目の前の笑顔がある。これが私の守りたいものだ。困っている人や社会のためには働くという壮大なことはできないけれど、好きな人との大切な時間のために働くことはできるのだ。

大切なものが出来て、相談に来る人の大切なものを想像するようになった

 そう気付いてから、自分が相談に乗っている目の前の人が大切にしているものは何だろうと想像しながら話をすることができるようになった。昔は相手を救いたいとか、役に立ちたいという気持ちで相談に乗り、苦しいだけの仕事だったが、まずは相手のことを知ろうと思えるようになって気持ちが救われた。それは、私なりに自分の働く理由を見つけることができたからだと思う。

 私にとって「働く理由」は流動的で、ライフステージによって変わるものだと予想している。冒頭の働く理由は、今現在の20代後半、新婚の私が考えるもの。きっとこれから歳を重ね、取り巻く環境も変われば、その理由は変わっていくかもしれない。それは自分と向き合うことのように思う。だから私は働くんだ。