謝るということはむつかしい。
大人になると謝ることはお決まり言葉のようで、メールの最後に「大変恐れ入りますが~」とか「申し訳ないのですが~」とか “自分が相手に迷惑をかけていますよ“ というニュアンスの言葉はいとも簡単に多用している。

昔は自分を守るあまりに言えなかった、今「謝りたい」と思うこと

それなのに「ごめんなさい」のその一言は、小さいころ自分が悪いと認めることのようで、何だか負けた気分になるようで最も苦手な言葉の1つだった。気が強いわたしというと、昔から「だって、〇〇だったんだもん」と自分を守ることに必死だった気がする。
そんな過去のことをあれやこれやと頭の引き出しの奥を、まるで久しぶりに押し入れからアルバムを取り出してきて眺めるかのように思い出していたら、ふと取れかかった瘡蓋かのごとく「あの時の私は謝ったほうがよかったよな」と心がキュッとなる思い当たるできごとがあった。

私のおばあちゃんは都内に住んでいて、よく小さいころから面倒を見てくれていた。小学校の行事なんかはほぼ皆勤賞で参加してくれていたし、何かにつけて家族で集まる事も多かったような気がする。

ところが、私が小学校の中学年くらいからだったからか、次第にお父さんとお母さんがよく喧嘩することが増えて、夜中に言い合う声がマンションの小さな部屋にこだましていたことがあった。多分、子どもの習い事のこととか進路のこととかお父さんの働き方のこととか、いっぱい話し合わなくてはいけないことがあったけど、あまりにも話す時間も余裕も夫婦の間でなかった時期だったのだと思う。

私と会うことを楽しみにしているおばあちゃんに最悪なことを言った

その週末は家族でおばあちゃん家に行ってお昼を食べることになっていた。いつもおばあちゃんは「何が食べたい?」と前もって聞いてくれて、美味しいものを用意してくれる気が利く人だった。しかし行く前日になって、この日もお父さんとお母さんは喧嘩していた。するとお母さんは「明日おばあちゃん家に私は行かない。パパと行っておいで」と私に言い放って早い時間に布団に入ったのだった。私はまた喧嘩したのかと呆れる反面、何だかどうでも良い気分になった。むしゃくしゃした。

その日の夜に案の定、おばあちゃんから「明日何食べたい?」と電話がきた。
「私、明日行かないことにした。学校とか塾の宿題やらなきゃいけないし。高学年にもなると忙しいんだから」とか偉そうに忙しぶってそんなことを言って断った。

勿論、こんなことはこれまでなかったから、おばあちゃんは驚いて違う日を提案してくれたり宿題を持ってきてもいいんだよ、と言ってくれたりしたけれど、その時の私が言い放った言葉は「そういうの迷惑なんだよね」の一言だった。
あまりにも存外だったのか、おばあちゃんも「それは悲しいよ、良くないよ」と必死に向き合ってくれたのに、申し訳ない、ごめんね、という思いとは裏腹に「こういう性格は治るもんじゃないから」と冷たい言葉がみるみる口をついて出たのだった。最悪な私だった。

「ごめんね」の気持ちで「ありがとう」とおばあちゃんにご馳走したい

おばあちゃんと喧嘩したのはその日だけ。だからかよく覚えている。電話越しに聞こえるおばあちゃんの悲しそうな声を。お母さんが寝た後の静かなキッチンで罪悪感に駆られながら話をした時のことを。

あれから10年以上の時が経ち、社会人になって、コロナになって、おばあちゃんとはめっきり会える時間が少なくなった。おばあちゃんはこの頃「もう歳だから」という口数が電話越しに増えて何処となく声に張りがなくなった気もする。

次会う時には「あの時はごめんね」という気持ちで、今度は私がおばあちゃんに美味しいものを振る舞うと強く心に決めている。そして色々あったからこそ全てをひっくるめて「ごめんね」じゃなくて、目を見て笑顔で「いつもありがとう」と言いたいなと思った。

きっと、あのおばあちゃんのことだから、前日に「明日何食べたい?」と電話してくれるだろうけれど。