満たされたくて、愛されていたくて。何度も聞く「私の事、好き?」

19歳の頃に同棲していた彼がいた。私の一目惚れから始まったその恋。彼の事が本当に大好きだと思っていた。
彼は私よりも5歳年上で知らない世界を沢山教えてくれたし何よりも彼の「見た目」がタイプだった。

19歳の頃の自分は、とにかく何かに満たされていたい、愛されていたいという気持ちが常に心に渦巻いていて、彼にも「私の事、好き?」などとうざったい程に聞いていた。
初めの頃は、「好きだよ」と真っ直ぐに伝えてくれていた彼もそれが何ヶ月も続くと「そんなに何回も聞かなくたって昨日や今日で好きって気持ちが揺らいだりしないでしょ。」と呆れながら笑うようになった。

今思えば確かにそうだ。好きという気持ちは株価のように毎日目まぐるしく変動するものでもない。そんなに常々にチェックしなくとも良かったのだ。

「見た目とか僕が持ってる世界観が好きなだけ」。彼は悲しそうだった

ある日、彼と些細な事で大喧嘩をした事があった。
その時に彼が「君は僕の見た目とか僕が持ってる世界観が好きなだけで、僕自身の事を愛してくれてないよね」と悲しそうに言った。
当時の自分にはこの言葉の意味は理解出来なかったし、それどころか「私はこんなにあなたが好きなのにどういうこと?」と責め立ててしまう始末だった。

今となれば「本当に好きな彼」に、そう言わせてしまった自分を恥じるし、彼が言いたかった事も理解ができる。
当時の自分はその若さと自分の未熟さ故にひとりの男の人を傷つけてしまったのだ。

そこからお互いの間にどんどんと溝が生まれていった。初めは飛び越えれる程の距離だった溝が、気付いた頃にはもう埋める事も歩み寄る事も出来ないほどに大きなものになっていた。

結局別れ話を切り出してくれたのは彼だった。
「他に好きになった人がいる、その人は自分の事も愛してくれるんだ。だからごめん。もう別れよう。どうせ君にはすぐに彼氏ができるよ」とまた呆れたように彼は笑った。

キッカケは「外側」だったけど「内側」にある弱さも強さも好きだった

同棲を解消する日、彼は駅までお見送りに来てくれていた。
「今までありがとう。」そんなありふれた言葉が今更胸に深く突き刺さった。
こんなに優しい人を自分のエゴと寂しさでがんじがらめにしてしまっていた事にようやく気がついた。
「ありがとう、今までごめん。」
そう返すと後は涙で言葉が詰まって出てこなくなった。

それが彼との恋愛の最後の日だった。

あれから数年経ち自分が大人になってからふと彼との恋愛を思い出す機会があった。
本当に今までの自分は他人の事を「見た目」や「ステータス」という色眼鏡をかけて見ていたことに気が付いて心底その浅はかさを恥じた。

ただ、ひとつだけ時が経て思うのは、確かにキッカケこそ彼の「外側」だったが共に生活していく中で彼の「内側」にある弱さも強さも本当に大好きだった事だ。
ただ、勿論「思い」は行動に移さなければ伝わらない。
昔未熟だった自分ができなかった事を大人になった自分でやっていけたらと思う。

愛した人への思いを今日は文章へのせる。彼には届かなくとも、あの若かった恋愛が成就してくれますようにと願いを込めて。