思い返せば、本当の意味で“女という性”を好きになれたことはないかもしれない。
気づけば、早く歳をとって男性の性的対象から逃れることばかり考えていた。 

もし、私の話を聞いてもらえるなら、これも何かの縁だと思って、ぜひ一緒に考えていただきたい。

私が感じてきた「女として」性的対象で見られることへの違和感

中学生の時に、技術の先生に提出物を渡しに行ったら手を握られて、そのまま抱きしめられた時があった。その後、先生は「元気がないように見えたから、励ましたくて」と私の頭を撫でた。先生は優しいなと思いながら、その日はなんとなくいつもよりお風呂で念入りに身体を洗った。

高校生の時は、男子達が誰が可愛いくてセックスができるか、クラスの女子でランク付けして盛り上がっているところを見かけた。なんとも言えない気持ちになった。

大学生の時は、繁華街で父親と同年代であろう男性に「パパ活やってない?希望の額出すよ」と言われ、悪寒が走った。

新卒で入った会社の新人歓迎会では、酔っ払った会社の役員に「新人でお酌にまわってきたなら、もっと胸元あけてきて」と言われ、その役員が得体の知れない怪物に見えた。

そして、友人たちと話しているとこういった話はざらに聞き、私だけじゃないと安心する反面、なんでこんなにも性的なことを言われたり、されたりするんだろうと違和感は膨れ上がった。

仕事をして1年、2年と経過するうちに、私がいわゆる若い女性だから、どれだけ頑張っているのか、仕事ができるとかよりも若い女性としてかわいいのか、愛嬌があるのか、そしてセックスができるのか、そこに価値を見出されてることへの違和感なことが明確にわかったのだが。

私は「性的なもの」に、自分が納得できる理由が欲しかった

セックスに生産性はあるのか?

「付き合ったってことは、セックスするってことじゃん」そういえば、性欲って人間の三大欲求だっけ。じゃあ、なんで私は性欲がなくても生きていけるって感じるんだろう。

ある時、付き合ったばかりの恋人に言われた言葉。やけに息が荒くて、私に覆いかぶさる彼に勝手ながら恋心が打ち砕かれていった。それからは、もっとセックスが嫌いになった。

愛を確かめる行為なら、なぜ好きじゃなくてもセックスができるのか。子供を産むためでもないのにどこ意味があるのか。未だに、私はわからない。

てきるなら、ドラマや映画みたいにセックスに意味を見出して、大切な行為に思いたかった。思えない自分がまるで欠陥品みたいに感じる。

「人間の三大欲求で生きるためには必要だから」と、好きだとか関係なく言われた方がまだ、私は納得できる。要するに私は性的なものに、自分が納得できる理由が欲しかったのだ。

今思えばそれも関係あったのか、水商売の世界に飛び込んだ。学生の頃から、ラウンジとスナックで働いている。性的に見られることにお金という対価が得られたら、納得できる何かがあるんじゃないかと思って。

今は本職があるから、副職になった。男性と話し、お酒を注ぎ、楽しませる。とんだエンターテイナーだ。

否定や批判するのではなく、どうしたらいいのかを考える場所があれば

そして、自分の視野がどれだけ狭かったのかを思い知らされた。大きく分けて2つ。

まず、どんな仕事にも職業観があった。私が入ったお店には、ベテランの人たちがたくさんいて、プロとして水商売を生業にしている。その人たちの仕事ぶりを見た時、なんて浅はかなんだと自分が恥ずかしくなった。

男性の話をしっかり聴いて盛り上げ、優しく、時にはやんわり注意する。情に熱く、自分の仕事に誇りを持っている人が多かった。性的なことを言われても、それを人の営みとして話をさらに聴いていく。衝撃的だった。

もう一つは、人の人生がそれぞれあった。ここに来る人は色んな欲求がある。もちろん性的対象に見られることが多いが、話すなかでその奥に寂しい、誰かと話したい、楽しく過ごしたいといった気持ちが見え隠れしていた。

特に性別、年齢関係なく「こういった振る舞いをしなくてはいけないと求められることが辛い」と話すお客さんが多かったのが印象的だ。性的欲求以上に、自分の居場所を探している人がたくさんいるように思えた。この世の中は、私の想像以上に生きにくい社会なのかもしれない。

未だに私たち女性が、性的対象に見られることへの私なりの結論は出ていない。ただ、一つ言えるのは声を上げた人たちと同じように実情を知って、たとえ永遠のテーマでもずっとずっと、手を取り合いながら一緒に話し合いを続けていく姿勢が必要なんだと思う。

この現代を生きる人達を自由に、それぞれの自分の居場所があって自分らしく意見が言える、ただ否定や批判ではなく、どうしたらいいのかを考える場所があればいいなと願っている。

それこそがいつしかの学生時代で習った憲法の“表現の自由””なのかもしれないと、個人的に感じている。法に触れぬ限り、たとえ誰に何を言われても、自分自身の価値は自分で決めたい。

今、日本に生きるどれだけの人が、自分らしい意見が言える環境にいるんだろうか。