なぜ働くのか。
働くのは、生きていくのに必要なお金を稼ぐため。
今のわたしにとって精一杯のアンサー。
でもなんだか、それじゃしょっぱい人生だ。

辞めた理由は「窓から見える夕日を心から美しいと思えなかったから」

わたしは新卒で入社した会社を1年足らずで辞めた。
就活中に「やりたいこと」を見つけることができなかったわたしは、とにかく内定を獲得するため奔走し、唯一の武器であった英語を活かせる英会話講師になった。
もともと長くて3年と思ってはいたが、まさかこんなにも早く辞めてしまうとは。目まぐるしい進路の変化に自分自身が一番驚いていた。
なぜ辞めたかというと、それはものすごく簡単なことで、「窓から見える夕日を心から美しいと思えなかったから」。
わたしの元・職場は大きなビルの高層階にあり、休憩所の窓から街を一望することができた。眺めが良く、そこで同僚とコーヒーブレイクを取ることも多かった。
ある日、わたしは窓際でひとり遅めのランチを食べていた。職業柄、始業時間が遅いため、ランチはいつも3時近く。しかしその日はレッスンが立て込んでおり、時刻はもう5時すぎになってしまっていた。
外は夕焼けで、街全体が濃いオレンジ色に包まれていた。

あ、終わっちゃう。夕日を浴び、感じていたのは「息苦しさ」だった

あ、終わっちゃう。
ふとそう思った。
わたしの今日が、また消費され、終わっていく。
電子レンジで温めるのが億劫で、冷たいままのお弁当。下のカフェでテイクアウトした500円のカフェラテ。
あれ、わたし、なんでここにいるんだろ?
窓からたっぷりと降り注ぐ夕日を浴びて、わたしが感じていたのは「息苦しさ」だった。

仕事を辞めてから、母にこの出来事について話したことがある。
「仕事中に夕日が綺麗だと虚しくならない?『あー、なんでここにいるのかな』って」
「そう?うちの会社も海沿いで夕日がよく見えるけど、良い眺めを背景に仕事できてラッキーだなあと思うよ」
その瞬間、わたしは自分が抱えていた違和感の正体を知った。
仕事が嫌だったわけではない。生徒にも同僚にも恵まれ、楽しく仕事をしていた。
けれど、「これじゃない」とどこかで感じながら、その気持ちを無視して仕事することは、こんなにも美しい夕日を霞ませる。

琴線に触れるひとつひとつの瞬間を、心の中に大切にとどめておきたい

その後わたしは転職をし、航空会社で客室乗務員として働くことを選んだ。
ここで詳しい経緯について述べることはしないけれど、とても自然な流れだったと、今振り返ってみて思う。
訓練中、特別にコックピットに入れる機会があった。離陸し、機体が雲を抜けた瞬間、目の前に太陽がぶわあ、と飛び込んできた。その輪郭は空に溶け出し、やわらかなバター色をした光が空間をまるっと包み込む。
鳥肌が立った。
「美しい」、その言葉が口をついて出た。
そして同時に、休憩所の窓から見えたあの日の夕日を思い出した。
そうか。きっと、こういうことなんだ。
働くことをただただ楽しいと思える人なんてほんの一握りで、辛かったり苦しかったりすることの方が圧倒的に多い。
けれどそんな中で、琴線に触れるひとつひとつの瞬間を、心の中に大切にとどめておけるということ。
それが、働くための理由になってくれる。少なくともわたしにとっては。
今日の夕日は、きれいだっただろうか。
ふと、窓の外を見て考える。