わたしにとって「仕事」とは、新しい自分を見つける為の実験の場だ。
今まで、学生時代を含めいくつかの仕事をしてきたが、とにかく常に手を抜きたくなかった。
例えアルバイト中の5時間であっても、もし手を抜いてしまったら、わたしの大切な人生の中の5時間分がサボっていた〈テキトーな時間〉になってしまう。それがものすごく恐怖なのだ。
仕事とは、実験の場であり「人間の実験室」そのものである
職場だけでなく、自分を大切にするという意味でも、わたしは一生懸命真面目に働く。ルールを守る、つまり、法則に従う。
法則に一生懸命従っていると、一緒に働く仲間や上司もちゃんと見ていてくれて、応えてくれる。生まれた信頼関係は清潔な環境へと変化し、わたし達はやがて同じ反応を示し合う集合体となる。
どんな仕事をしていても、その信頼関係が生まれた瞬間に歯車がカチッとはまった音が聞こえる。それはくるくると絶え間なく回り、心地よく加速していく。
「私これやっておきますね!」「ありがとうございます!〇〇さん今そっちどうですか?」「すみません!まだ終わってません」「今日めちゃ量多いっすもんね、手伝いますよ」「助かります…!」
その爽やかな細胞の活性化によって研ぎ澄まされた空間は、人と人の関わりでありながら、無機質な匂いの実験器具の回転を連想させる。
「人間の実験室」そのものであると思う。
実験の失敗もした。それでも、人生における大切な資料の一つにはなった
とはいえ、「仕事」という実験は、ハッキリと出来不出来があり、時としてそれはどうしようもなく残酷な結果を生む。どこかの博士が夜な夜な調合していたフラスコの中の薬品がBOMB!と爆発し、紫のけむりがもくもくと立ち上り、けむりの中から髪がちりちりと焦げ白衣がすすだらけになった博士が、曲がった眼鏡をかけなおしながらヨレヨレと這い出てくるような、何かの漫画のようなことが起こるあるのだ。
大学時代にクラフトビール店で働いていたとき、お店のビールグラスを全て割ったことがある。前に一度割ってしまってからグラスの扱いが分からなくなってしまい、遂にはガラスを触る際必ず手が震えるようになってしまった。その結果、ある日それが爆発、したのだ。その後徐々にシフトを入れて貰えなくなり、そのまま事実上のクビになったことがある。
バシャンバシャン、と音を立てながら、今まで目撃した中で1番怖いドミノ倒しだった。
この実験は失敗だったのかもしれない。
しかし、人はある一定の恐怖の前では少し笑ってしまう、ということを身をもって体験出来たという点に置いては、これからの人生における大切な資料の一つにはなったはずだ。お店にはとんでもなく迷惑をかけてしまったが。
働く限り、わたしはわたしの超ポジティブな研究者で居続ける
失敗は成功のもと!わたしは超ポジティブな研究者なのだ。
今日はこれを、明日はあれをやってみよう。自分はどのように行動し、それがどんな風に人や環境に作用するかを考えながら、法則にのっとり、不自由の中で自由に何度もチャレンジする。成功したり失敗したり。それはとても面白いことだ。
職場は可能性の実験を続けることで自分の解釈を深めるラボで、働く限りわたしはわたしの研究者で居続けられると思う。
そして、そこで日々得られた気付きやアイディアは、プライベートのわたしをも確かに豊かにする。
これが、「わたしが働く理由」だ。
自分が自分として進化し続ける為に、明日も元気いっぱい働こう。