小学校の頃、働いている人にインタビューするという授業で、「なぜ仕事をするのか」という項目があった。
「お客様のありがとうのため」
「社会のため」
「家族のため」
 聞き取った成果を読み上げる同級生の発表を聞きながしながら、私はふてくされていた。
「誰かの役に立つためなんて、嘘だ!それはタテマエで、どうせお金のためでしょ?」と。
 それを裏付けるかのように、当時の私は「誰かのありがとうのため」と大きな声で答えたのだった。

通帳を見た瞬間に浮かんだのは、嬉しさと、働いてよかったという喜び

 大学生になった私は、高い時給に惹かれて、レストランで人生初のアルバイトを始めた。
アルバイト初日のことは今でも鮮明に思い出せる。
 ホールとして、清潔感のある、糊のきいた真っ白な制服に、規定の靴。一つにした髪をねじってシニヨンネットに入れ、血色が良く見えるように桜色のリップを塗れば、鏡の中には立派な「店員さん」の私がいた。
 見た目だけは一丁前でも、初めてのアルバイトは知らないこと、できないことの連続だった。今まで、「未成年」、「高校生」というレッテルを貼られて守られていた私だけれど、客から見れば、ただの店員だ。アルバイトか、社員かどうかなんて関係ない。
 表では私にもベテラン社員と同じ働きを求められ、帰宅したときにはとうにへとへとになり、ろくに家事もしないでベッドに倒れこんでいた。
 そんな生活が何回か続き、アルバイトを始めてから二回目の月末がきた。
 22,570円。
 ATMを後にし、どきどきしながら開いた通帳には、そう並んでいた。自らの労働がお金に変わった!それを見た瞬間に浮かんだのは、嬉しさと、働いてよかったという喜びだった。

働く理由はお金と思っていたけれど、お金を得る方法は働く以外にも

 大学生は何かとお金がかかる。教科書は一冊が1万円をくだらないものもあるくらい高いし、フィールドワークとしてどこかに出かけなくてはいけないこともある。
 アルバイトで得たお金は、いくらかを貯金し、残りは必要なものに使う。働く、貯める、使う。そのサイクルが確立してきた頃に、私はとあるフリーマーケットアプリにハマった。
 自宅にある不要なものを売って小金を得ることのできるそのアプリで、私は大学生にしては結構な利益を上げた。売上金の数字が増えていくのを見ていた私は、ある考えにいたった。
「お金を得るということは、働かなくてもできるのではないか」
 さあ、大変だ。かれこれ10年近く、私は働く理由はお金のためだと思っていた。しかしながら、お金を得る方法は働く以外にもある。例えば投資もその一つだ。
「じゃあ、働くことの理由って?」
 10年前の答えの再考に迫られてしまった。

私が働くことで、笑顔になる人がいる。ありがとうという人がいる

 その疑問を抱きながら一年ほど働き、同級生たちの発表と同じ結論に達した。
「誰かの役に立つため」
 それが私の答えだ。私が働くことで、笑顔になる人がいる。ありがとうという人がいる。
 年単位で働いた数々の場面から、そう実感した。かつての同級生たちがインタビューした人たちも、お金のためと答えることもできただろう。しかし、働くことはそれだけではなく、もっと大切なもののためであると、子どもに伝えたかったのではないかと、今の私は思う。