ふられたのか、ふったのか。
正直どちらなのかは、今もはっきりとは分からない。
始まりは、七年も昔まで遡る。それでもすべての瞬間を、今でもはっきりと覚えている。

彼とは大学生の頃に知り合った。同じサークルの友達の友達で、違う学部の彼との接点はなかった。お互いを知ることになったきっかけは他愛の無いことで、食堂の前で同じサークルの友達と、次の学期に何の授業を選択しようか、あの授業楽単らしいよ、と立ち話をしていたら、ふっと彼が現れた。
随分と大人びた格好で、こちらが思わず居住まいを正してしまうような不思議な雰囲気を纏っていて、立ち去る瞬間にただ一言、そのシャツ可愛いね、と言った。
顔がタイプというわけでなかった、それでも私が彼を気になり始めるには十分だった。

前に気になっていた彼と再会し、あれよあれよと付き合うことに

それから連絡先を交換して、最初は友達同士で遊んでいたが、遊ぶ人数が四人、三人と減っていき、ついには二人で遊ぶようになった。お互い好きだとは決して言わない、だけど明らかに友情とは言い切れない空気がいつも私達を包んでいた。でも何も始まらなかった。

知らぬ間に終わったと思っていた話が急展開を見せたのは、それから約一年後の春のことだった。彼から急に連絡が来たのだ、一度ご飯に行こうよ、と。
もはやその頃には彼の顔さえ朧げだったけど、まあ暇だし、とホイホイわたしはついて行き、そこから話は早くて、あれよあれよと言う間に付き合うことになった。我ながら単純な奴め、とは思うけど、一度は気になっていた人だ、好意を寄せられて悪い気分はしなかった。うん。

付き合ってからは楽しい日々が続いた。私よりも多趣味で、私よりも賢くて、いつも堂々と自分の考えを話せる人だった。それなのに、デートの度に、いつも何がしたい?と私に聞いてくれる優しさもあった、と思う。

それでも月日が経つにつれて、美化していた皮が剥がれていき、瓶の底に澱が溜まるように気持ちが沈むことが増えていった。

彼に近付きたくて、自分も趣味を見つけようとするけれども、彼の趣味以外のものを始めても、一瞥で終わり、彼と共通の趣味ならば、審査が始まる。自分がいかに彼に至らない存在なのか、それだけは毎回知っていった。
彼に優しくありたくて、デートのプランを聞くけれど、彼の口から、私と一緒にやりたいことは、とうとう最後まで出てこなかった。

彼の連絡先を改めて聞こうとしたとき、ふと思う。私達って何なんだ

なんとなくだけれど、私も気づき始める。彼と一緒にいても萎縮するばかりで、もう本当の自分の顔なんて見せられなかった。いつも部屋の外の空気が吸いたくなる。別れるのかな、そう思うけれども、決まって彼の優しかったところだけを思い出し、彼の家からの帰り道、泣くのを堪えて、私が我儘なだけだ、と思い直した。

自己肯定感は下がりきっていて、私は恋愛そのものが下手くそなんだ、むしろ彼に感謝せねば、とまで思い始めていた。
一年が過ぎた頃には、私達の関係は既に破綻していた。でも離れなかった。いや、離れられなかった。別れよう、をお互いが言わないだけ。面倒なことだけ見ないふりをしていた。

そんな中で転機が訪れる。突然私の携帯が壊れて、連絡先のデータがなぜか一部だけ飛んでしまったのだ。前日には彼から久しぶりにご飯でも行こうか、と連絡が来ていた。

彼の連絡先も改めて聞かなきゃ。
でも、その時ふと、彼の顔を思い出した。でも、私達って何なんだ。彼氏でもない、友達でもない。時に罵り合い、褒め合わず、どうして会い続けるのだろう、と。我に返った。
これは好きだから、なのか。もう分からなかった。

自分だけでは気持ちの整理がつかず、頼りにしている心理カウンセラーの友人に相談をした。彼女があっという間に出した結論を、鮮明に思い出す。

「それは好きだから追い続けている訳じゃないの、それは執念や執着と言うんです。好きとは別なんです。手に入れられないものほど、魅力的に見えるだけなんですよ。」

すとん、と納得がいった。

もう、やっと、彼にさよならを。明確な終わりが私には必要だった

私はもう、やっと、彼とさよならが出来る気がした。私は彼をふった、のだろうか。
でも携帯の画面から彼の名前が消えることは、出会ってから一度たりとてなかった。曖昧な始まりだったけれど、この明確な終わりは私には必要なものだった。

それから彼から連絡が来ることは、一度もなかった。
でも不思議なことに、悲しいより清々しい気持ちが勝っていて、我ながら拍子抜けしたことを覚えている。あったものがなくなるのが惜しくて、これは執念だったのか、ひとつ感情を自覚して大人になれたかな、となぜか誇らしくも思った。

世の中には曖昧な関係がたくさんあって、そんな関係は歳を重ねるほどに増えていくような。逃げてもいいこともたくさんあるけれど、たまに向き合ってさよならすると、なんだか昨日よりも強くなれる気がする。終わることは、必ずしも悪いことじゃない。

私を好きになってくれる人は彼以外現れないんじゃないか、と不安になって、好きでいる理由を挙げていくことに苦しくなったら、そんなことを思わせた存在とさよならする勇気を、どうか。

あの時の私の決断は、ちゃんと私を強くした。もう、気持ちを無駄にはしない。