その日は突然やってきた。
入社3年目、聞けば皆うなずく上場企業、いわゆる一流企業の一員として、日々奮闘していたある日。少しずつ積みあがった違和感が、土砂のように崩れ落ちた。

周りからの賞賛を受けるため、ネームバリューのある会社に入社した

新卒での就職活動時、一番大切にしていたのは「ネームバリュー」。やりたいことや自分の意志は二の次だった。
私にとって、他人からの「優秀だね」「すごい」の言葉は、SNSの「いいね」と同じ。賞賛を受けることへの快感に浸り続け、より高い評価を受けるための努力を惜しまなかった。

中学では入学から卒業までオール5の優等生。難関高校、大学と順調な「肩書きづくり」に励み、成果を出してきたつもりだった。

―この会社にいる意味は?―
自分でも驚くほど、中身は空っぽだった。
就職した時点で、私の肩書きづくりの道は終わってしまったのだ。

今の会社で成し遂げたいことや、目立ちたい項目なんてなかった。
しいて言えば、他の同期より早く昇進することくらいだったが、多くの大企業では依然年功序列の風潮が残っており、私の会社も例外ではなかった。つまり、昇進のタイミングはほとんど同じだ。
目標が見つからず、やりがいもモチベーションもない。同僚の仕事を楽しんでいる姿や、「本当に良い会社だなあ」という発言がやたらと気になり、思考はどんどん負のスパイラルに陥る。
今の私に、働く理由なんてなかった。

―私は、このままでいいのだろうか。―

膝の上で撫でろと言わんばかりの猫を愛でながら、働く意味を考えた

疲れ切った身体と心を引きずりながら実家へ帰った。
実家の猫は、こたつの真ん中で寝そべっていた。
こたつから出てきた猫は体中に暖気を帯びており、動く湯たんぽとして私の膝の上でゴロゴロと歓迎してくれた。
猫は視線を上げ、温めてあげているんだから撫でなさいよと言わんばかりの表情を私に向ける。
体も心も温まりホッと一息ついた私は、ありがとうと撫でてあげた。

そのとき、ふと思った。これも、ある意味働くことなのかもしれない。

働くことには、「成果」と「報酬」が伴う。
生活のあらゆる場面で人は報酬を得るために働いている。生活水準を保つための掃除や洗濯といった基本から、明日のキレイのためのスキンケア、大切な人へのギフト、など。報酬が次の成果へ向けた原動力となる。
なかでも仕事は、お金が報酬となるため、特に成果を出そうと奮起する。もちろん、報酬は成果に応じて与えられるものであり、相応の成果を出せなければ報酬を得ることはできない。
周囲からの「いいね」も、報酬のひとつだと思う。私の肩書きという成果へのご褒美である。
今の私は、目的も成果もないくせに、ただ高い報酬だけを求めていた。
もしかしたら、大切なのは報酬よりも成果なのかもしれない。

自分の「いいね」を稼ぐこと、つまり日々の成果を積み上げていく

報酬は、他者からしか得ることができない。
実家の猫は、撫でてほしい時だけすり寄り、お腹がすいた時だけにゃあと鳴く。昼間、窓際で日向ぼっこをしている時に撫でても無視されるだけである。同じことをしても、相手の機嫌や状況ひとつで反応はいくらでも変わってしまう。機嫌を損ねた猫から猫パンチを食らわないように必死にご機嫌を伺ったところで、結局相手次第なのだ。
私は、より多くの「いいね」に執着しすぎた結果、他人というコントロール不能なものに支配されてしまっていた。
それならば、自分のための成果だけを意識すればいいのではないか。たとえ猫パンチを食らおうと、撫でるという目的さえ達成すれば私自身は満足である。自分の中の目的に注力し、達成することは、いわば私が私自身へ「いいね」を送るようなことだ。
私自身からの「いいね」も、他人からの「いいね」と何ら変わらない。自分の「いいね」を稼ぐこと、つまり日々の成果を積み上げていくことこそが、働く理由、ひいては生きる理由そのものなのかもしれない。積み上がったものは、きっと自分をよりアップデートさせてくれる。
腑に落ちたときには、違和感の土砂は綺麗に水に流されていた。

そして私は、今日も猫に少し贅沢なおやつを与える。
あまり食べない。成果はイマイチだ。今日は肉球触り放題はなしと睨み付け、逃げていく。
悪い気はしなかった。