中学三年生の時の進路調査の紙に、作曲家になりたいと書いた。吹奏楽部で初めてきちんと音楽を学び、作る側になってみたいと思った。映画やドラマのワンシーンで、音楽ひとつでこんなにも心の動き方が変わることに驚いたからだ。

何もかも普通の家だった。面談の席で母と二人でハハハと笑った

当時の担任の先生はとてもいい先生で、「こういうお仕事をしたいなら、音楽科などに進んで専門的なことを学ぶ必要があるよ」と言ってくれた。私の両親は銀行員で、何もかも普通の家だった。夢みたいなことを書いた私が恥ずかしくて、面談の席で母と二人でハハハと笑った。先生が受け止めてくれたことが嬉しかったのに、自分に才能がないことをよく知っている母にそんな夢を見ていることを知られたのが痛々しかった。その場で私はその夢をなかったことにした。先生だけが私の夢を真面目に受け止めてくれていた。

高校二年生の時、編集者になりたかった。漫画や本に感動して、こんな風に誰かの心を動かす物に関わりたいと思った。出版社に入りたいならと、塾の先生に言われるがまま、ひたすら勉強して東京の私大に入った。

自分の感性で作家の漫画と人生を受け持つことを恐ろしく感じた

大学生になってすぐ、編集者になりたいと思ったきっかけになった人の会社のインターンに参加した。漫画編集を基本的に扱っている会社で、初めはひたすら雑用をしながら、会社にあった漫画を借りて読んだ。今まで手に取らなかったような作品も読んで、さらに漫画が好きになった。同時に、私にも好き嫌いがあって、その自分の感性によって作家の漫画と人生を受け持つことを恐ろしく感じた。私はインターンをやめ、大学生の自分にしかできないことをたくさんしようと決めた。

出版社含めエンタメへの憧れは残ったまま、就活の時期になった。エンタメ業界は採る人数が少ない上に人気で、難関だった。就活している間、私は普通の人になることだけで精一杯だった。やりたいことや憧れていたことなんて、もう手を伸ばすこともできず、夏が始まったあたりで内定をもらった会社に入社を決めた。金融の会社の営業だった。

みんなと同じ道を進むことが一番大切だと思っていた。けれど

誰かの心を動かしたい。今の仕事も子どもの頃憧れた仕事も、その思いだけは共通している気がする。だけど、今の私は夢は叶わないという人生の先を歩いている。夢を叶える人生にしていたら、今どんな仕事をしていたんだろう。どんな風に働いていたんだろう。私は普通の人でいるために働いている。みんなと同じ道を進むことが一番大切だと思ったからだ。

今の時代、好きなことを仕事にしている人がたくさんいる。会社勤めをしない働き方もたくさんある。それでも私は自分の身近にはなかった生き方を選ぶのが怖かった。そうして、本心から子供の頃見た夢も、なかったことになってしまった。中学生の時、担任の先生の前で笑わなければ、私は今の私ではなかったのだろうか。

自分の人生を振り返って、なんだか急に目が覚めた気分になって、転職を決めた。自分がやりたかったことに手を伸ばしてみた人生の先を歩いてみたい。そしてその先の様子を、中学の時の担任の先生に、話しに行きたい。