深夜2時。行先を告げ、タクシーの後部座席で泥のように身体を沈めて溜息をついた。
日付を回った頃に上司から作成するよう言われた資料は、翌日使われるか分からないもの。
「念のため」そう言われて作業をする内、気づいた時にはこんな時間だった。夕食は済ませていないが、もう食事をする気力もないー。

窓の外。既に人も歩いていない景色を見ながら思うことはひとつ。
「私、何のために働いているんだろうー。」

幼い頃、周囲を見て、結婚とは「我慢」なのだと思っていた。
結婚すれば妻であり母である者は時間をセーブして働き、
それを当然だと思う夫とは意思疎通など成立しなくなっていても、「子どものため」に自己を犠牲にするのだと感じた。

子どものためーー。そんな背中は、子どもながらに辛かった。
「自立しよう。自立して、結婚しても出産しても働いて自立して、いつでも離婚という選択肢を取れるようになりたい。」
なぜ妻や母がそんな選択肢を取らざるを得ないのか、社会の仕組も知らなかった単純な私は、強くそう考えていたのだ。
「自立」はその頃から、私の進むべき道のひとつになった。

海外の大学院に合格した時、周囲から批判を受けた母。それでも・・・

タクシーが自宅近くに着いた。
こんな日が続くと、帰宅しても頭が醒めて眠れない。冷蔵庫から取り出したワインをグラスに注いで一気に飲み干すと、内臓がカッと熱くて気持ち良い。
倒れ込んだベッドで考える。
「これが、自立なんだろうかー。」

海外の大学院に合格したとき、周囲の批判を受けたのは母だった。

「そこまでさせなくても」
「(女の子なのに)そこまでする必要があるのか」
「外国なんて女の子が行くのは危ない」

自分で努力をして、自分で勝ち取ったチャンスなのに母の育児が失敗したかのような声があることが、悔しかった。
結婚して、子ども産んだら「安心だ」と褒められたのだろうか。

それまで海外に行ったことはなかったが、大学でも夜までバイトをしながら、隙を見ては海外に行き、いつの間にか全国スピーチ大会にまで出ていた。
ここまでしたんだから、合格したのに行けないのはあんまりだ、行くべきだー。母は批判の声が私まで届かぬよう、そう周りに言っていたのだ。

母が盾になっていなければ、周囲の反応に絶望し、挫けて、私は大学院進学も、今の仕事もしていなかったかもしれない。

「結婚なんてしなくてもいい」という母は自由になりたかったのだろうか


幼い頃、母は私に「結婚なんてしてもしなくても良い。好きなことをして、自由でいなさい」何度かそう言った。
自由とは辞書で引くと、「他からの強制、拘束、支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」と書かれている。

母はーー。自由になりたかったのだろうか。
今よりずっと女としての人生が決まっていた時代を生きてきた母は、諦めた夢もあったといつか話してくれた。

「女のお前には無理」「どうせ結婚するんだから」
そんな発言が許された時代を生きてきた1人でもある。
女性と男性、生まれた時には同じスタート地点に立っていても

「お前にできるわけがない」
「女は意見を言うな」
「犯罪や嫌な目に遭うのは女性にも落ち度がある」
「父親に子守をさせて、母親として無責任」
「女は奢ってもらえて、養ってもらえて楽」
「美しいことが価値」

そんな心ない言葉や態度が石となり刃となり、女性の走るトラックに散りばめられている。

足を絡め取られ、罪悪感を押し付けられ、トラックを自由に走り抜けるどころか、途中で息も絶え絶えに倒れ込んでしまう。

トラックを少しでも安全に走り続けられるように、教育という頑丈な靴をどうにか与えようとしてくれたのは、母だった。

母が与えてくれた頑丈な靴で、今日もトラックを走り続ける

「自由でいなさい」

自らの意思や本性。それはいつも分かった気になったり、見失ったりを繰り返しているが
私も誰かに、頑丈な靴を与える人間になりたいと、ふと考える時がある。

アラームの音で目が覚める。
疲れの取れないぼんやりとした頭で起き出し、コーヒーを淹れてメイクをする。

今日も忙しいだろう。
働く意味はやはりよく分からない。仕事は辛い時もあれば、意義を感じる時もある。
忙しく深夜に帰る日々で、意味どころか自分すら見失いそうになる時も。
だが自由も、意思も、本性も、これからも時々見失いながら探し続け、得ていくものだろう。

コーヒーを飲み干し、玄関で靴を履く。
働く意味は分からない。それでも働きながら、走りながら、より頑丈な靴を作れる人間になり、できればトラックに散りばめられた石や刃を、後ろを走る人間のために、取り除きたいと思うのだ。

今日も私は働く。トラックを走る。母のくれた、頑丈な靴でーー。