父は私を同性愛者だと決めつけてしまった

「おまえ、女が好きなのか。」

高校生の時、突然父にそう言われた。あまりの突拍子のなさに反論出来ないでいると、それを肯定と捉えたのか、父は私をその場に正座させた。

「やっぱりそうなんだな。」
「違うけど。なんでそんな話になるの。」

遅れて否定しても、父は既に私を同性愛者だと決めつけてしまったようだった。

「男っ気がないと思っていたんだ。女とばかり遊んで。ほら、あの──」
「リカコね。」
「そいつだ。」

昔気質で頑固な人だとは理解していたつもりだが、思わず出そうになったため息を飲み込む。

「リカコとは気が合うから一緒にいるだけ。それで女の子が好きって決めつけるのはおかしいよ。」
「毎日のように遊ぶのはおかしいだろ。腕を組んだり、家に入り浸ったりもしているな。」
「今はそれが普通なの。お父さんの頃と比べないで。」
「それに男と遊んでいるのを見たことがない。」
「当たり前でしょ。私の何もかもを知ってると思わないでよ。」

今も実は彼氏がいるが、いると言ったらその次は「連れてこい」だ。分かりきっていたので、どうしても言いたくなかった。

「子どもは産んでもらう。相手がいないなら俺が見繕ってやる」

「いいか、よく聞け。」

父は厳しい顔で私に向き直ると、とんでもない事を言い放った。

「おまえが同性愛者だろうと構わん。結婚もしなくていい。だがな、子どもは産んでもらうぞ。相手がいないなら俺が見繕ってやる。」

怒りがはじめに来て、すぐに絶望に変わった。この人は何を言っているのか。昔とは訳が違う。多様な性が当たり前になりつつある今、時代錯誤も甚だしいと思った。小学生でもそんなことを言ってはならないと理解している。

「信じられない。同性愛者ではないけど、子どもは欲しいと思わないので産みません。もう話すこともないから行くね。」

父にそう告げると、私は自分の部屋に戻った。父は黙って聞いていたが、どうせ頭の中で種馬を探しているだけだと思った。

その人がどう生きたいか、それが何よりも大切にされるべき

この時から父とは不仲になり、成人して家を出た今も口を聞いていない。男らしく、女らしく。そんな言葉に疑問を持つようになったきっかけは、まぎれもなくこの出来事だろう。父に反発する気持ちもあったと思う。でも、それだけではない。

男と女で、もちろん生物学的な違いはある。あって当然だし、その差異は尊いことだとも思う。しかし、その違いのために阻害されたり、差別されるようなことがあってはならない。その人がどう生きたいか、それが何よりも大切にされるべきだと思う。

ネットに書き込もうものなら一瞬にして炎上しそうな私の父の思想だけれど、彼はまだ40代だ。こびりついた思想や考えが変わるためには、まだまだ時間が必要なのかもしれない。

今私は異性のパートナーと暮らしを共にしている。幸せだけれど、未だに父の言葉が呪いのようになって、子どもを持とうという気持ちにはなれないでいる。

いつか変われるだろうか。
父も、私も。