私は高校生の頃まで、安野モヨコさんの漫画「働きマン」の主人公・松方弘子のように、バリバリと働くのが夢だった。そのために勉強して、将来はやり手のビジネスパーソンになる。と決意していた。

しかし、夢が絶たれるのは随分早かった。大学1年生のとき病気になり、障害が残ったからだ。障害があってもバリバリ働ける人はいる。でも私はそんな状態ではなかった。留年し、卒業も危ぶまれた。毎日が薄っぺらく過ぎていくばかりで、学びも充実もなかった。
どこかに勤める前に、できる仕事を見つけることこそが難しいとふさぎ込むようになった。当時を思い出すことはあまりないが、こうして書いていると辛くて頭が痛くなる。

やっとのことで大卒の肩書を得たが、それを「自立した社会人へのチケット」と捉えていた私には、いつまでも行使できないものを持たされている気がして、重荷になり、足かせのように感じた。
ワークライフバランスが重視される今、松方のような働き方は「時代遅れ」ともいわれる。当時夢見ていたようにできるはずもない。それどころか、スタートラインにも立てない。悔しく、恥ずかしかった。仕事もないのに「OL風の」格好をして、店員さんに「お仕事ですか」と言われて頷いたりしていた。親戚に本当のことが言えず、勉強のためにまず小さな会社に就職した、と嘘をついた(親とも口裏を合わせた)。一方バイトは何度もいけなくなり、長続きする仕事がないと思いこんだ。空虚ばかりが骨にしみた。
休み休み、リハビリや職業訓練をした。とにかくお金がなかった。生活が昼夜逆転していたこともあり、夜の仕事をしたいと思った。しかしそれに耐えられる容姿も、アルコール耐性も無かった。

試しに応募した会社でなぜか採用。会社に勤めることはもはや恐怖だった

2年の求職を経てやっと、試しに応募した会社になぜか採用された。業界こそ望みではなかったが、色々な制度が整った大会社だった。
とても驚いたし、「障害者採用だからライバルが少ないし、げたを履かせてもらったのだろう」「私本人のことを知らないからこそだ」と思った。すでに順調に働いている(仕事があるだけで順調だと思った)同級生たちにも、驚かれた。
しかし、社会性を幾分失っていた私にとって、会社に勤めることはもはや恐怖だった。会社員の演技は、もうできなかった。

迎えた入社当日、人事担当者に「あなたのような人を採用するのは初めてだから」と言われ、いつのまにか何かにつけ少数派とならざるを得ない自分が恥ずかしかった。
しかし、高校の頃までの夢を思い出してみると、この会社で勤めることで少し夢を叶えられるように錯覚した。ようやく社会人になれるのだと大げさながら身震いがした。
他者にとっては当たり前であることが、病気によってありがたく感じられたが、それこそがやるせなかった。「辛かったときの経験が財産」と思えるほどに埋め合わせしてくれるようないいことなど、その当時は全くなかったからだ。

5年間働けたことだけで自分を肯定できるように。仕事を始めてよかった

考えてみれば入社が転機であった。
そこからもう5年の月日が過ぎそうだ。入社して5年、フルタイムで働けるようになってもうすぐ3年となる。仕事内容は事務作業などの庶務だ。同世代の人と比べて責任の軽い仕事しかできない自分に嫌気がさすこともある。理想とかけ離れていて途方に暮れることもある。しかし、この5年間働けたことだけで、自分を肯定できるのではないかと思っている。

会社員として仕事を始めて良かったことというと、3つがすぐに思い浮かぶ。
1つは朝起きる時間が決まって生活リズムができること。健康に過ごせる基礎である。
2つは多くの人と、プライベートに踏み込みすぎずに関わることができること。恩人と呼べる上司と出会い、良い力が発揮できるような指導をしていただいたことは特に心に残る。
3つはたとえ行きたくなかったとしても、仕事に行ってしまえば賃金を貰えること。お金がなければ一人暮らしだってできなかった。

時間がかかっても良い方向に向かえるよ、とあの頃の自分を応援したい

あくまでも会社員として働いているからにすぎないが、私の中で大切なことだったと思う。私は今、自分にとって働くことは良いことだと感じる。喪失していた自信も少々回復できたように思う。それが何より良かったことだ。

5年前の私は、今の自分の姿を全く想像できなかった。
今もしできるなら、時間がかかっても、良い方向に向かうことはできる、と5年前の自分を応援してあげたい。うまくできるよ、と焦っていた自分を落ち着かせてあげたい。
少し大人になった私は、当時の私に「その時々によって、自分に与えられる役割は違う。今は生きているだけでもいい。」と短く言うだろう。でも、当時の私は、やはり力なく苦笑するだろう。