いつからか、自分の体に自信がなかった。
女の子にしては平均より高めの身長だし、長年剣道をしていたので肩幅や肩についた筋肉ががっしりしているし、後ろから見ると嫌でも逆三角形になる自分のがっちりとした体型が大嫌いだった。
むっちりとした体型に、誰も女の子扱いしてくれないかもと泣くことも
体重も部活のために増やしていたので、他の子と比べるとかなりむっちりしていた。
自分の太ももの太さが、華奢な子のウエストと同じ太さなんてよくあることだった。
「可愛い」と学校でも世の中でももて囃される子は、指先から華奢で手首も細くて、足もウエストもほっそりしていて全体的に小さくて可愛い。
小学生のころから読んでいた少女漫画や体型を強調されがちな少年漫画、テレビに出てくる人たちを見て育ち、思春期の私は頭を抱えて悩んだ。
テレビの中やクラスの中に溢れる「少女らしさ、女性らしさの平均」から大きく外れているから。
そういう見た目だから、誰かと恋バナをしていてもいちいち「え、意外。可愛い〜!」「中身めっちゃピュアなんだね」と言われるのもストレスだった。『見た目は男勝りなのに、意外と乙女なんだね。』と突きつけられてる気がした。
例えば好きな人ができても髪の毛の自由さえ許されず、「自分で適当に切った?」と言うくらい無頓着な髪型。眉毛の手入れさえ許されない為メイクもせず、トレンドもあるがオーバーサイズが流行ってなかったため(そもそもオシャレして出かける余裕もなかったので、流行りはあまり覚えていないが)、嫌でも体のラインが出る服しか着れず、体は男子と同じくらいがっちりむっちりした生殖器の違いだけで辛うじて女…みたいな私のことなんて誰も「女の子」として扱ってくれないだろう、と泣いたこともあった。
終わりのない悩みに苦しみ続けないために、自分らしくいると決めた
その呪いを自分から手放したのはつい最近だ。
今はアパレルに勤め、ショップ先でお客様を相手にしている。
私のお店のスタッフには「食べてますか…?」と聞きたくなるくらい華奢な人がたくさんいる。部活の名残が今でさえ私を体格良く見せているが、私は例えその人たちと同じくらい痩せ細っても次のコンプレックスを見つけてしまう。そういう性格だから。
そばかすが~歯並びが~丸顔が~奥二重が~眉毛の太さが~たらこ唇が~太ももにある肉割れが~、、、
鏡を見ていると終わりがないことに気づいてしまった。
終わりがないことに気づくと、なんてことで悩んでいたのだろうとバカバカしくなってしまった。
自分で悩みを生み出して、たとえどれか1つ解決しても終わりがなくて永遠に自分を苦しめるつもりなのか?と気づいてしまった。
規定のサイズしか想定しない色々なことに憤りは覚えるが、私たちはありのままでいいとようやくお互いが手を取り合う時代が来つつあるなと国外を見ても思う。
たまに可愛い!と買ってワクワクして通したリングが第二関節より先に進まない時は夜泣いてしまうが、そういう時は「1番細い小指につけよ!」と小指や薬指にしか通らないリングが増えても「…ま、いっか!」と次のリング探しをできるくらいには強くなった。
その日によって変わる憧れの体型。他人の目もきっとこんなもんだ
痩せて他の人の評価だけで生きれるほど私は単純ではないとも理解したので、他人からの評価は嬉しいことは嬉しいがそれで終わり、と捉えるようにしている。
だから「手が(パンパンで)赤ちゃんみたい」と言われても「揉み放題ですよ」と手を差し出せるし、そこにもし悪意があるとしたら「このふっくらおてての良さがわからないなんて…」と憐れむことができる。
他人に対する評価のつもりは一切ないが、私はスレンダーな体型の人もグラマラスな体型の人も大大大好きだ。その日によって「いいなぁ!こんな風になりたい!」の幅が本当に極端に違うので、自分でも疲れる。
スレンダーな人は例えば満島ひかりちゃん。
グラマラスな人は敬愛しているBeyonce。
人種を除いたとしても極端で、自分でも理解ができない。
他人が人の体型に思うことなんてこんなものだ。こんな感じで生きていけばいいんだ。
「いっぱい食べる君が好き?」別に貴方に好きって言われなくても私も私が好きですよ~、とご飯を頬張りましょう。